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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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Economist恒例のダジャレ

 


Economistのゴーン解任のニュースで記事タイトルがGoing, going, Ghosnとなっていました。

A giant of the car industry is accused of financial misconduct
After Carlos Ghosn, will the Renault-Nissan-Mitsubishi alliance endure?

Yutaはこのフレーズは野球のイメージだったのですが、オークションの言葉として掲載されることが多いようです。Youtubeの動画ではgoing going soldの方が見つかりました。



(英辞郎)
going going gone
いいですか・いいですか・はい決まり、終わるよ・終わるよ・はい終わり
◆セリ、オークションの最後の言葉。その前に、セリ値を云う時は「going for 100, 100」100ドル、100ドルだよ。

Going, going, gone.
1. = Going once. Going twice. Sold!
2. 伸びる、伸びる、入った。/入るか、入るか、入った。
◆野球の実況中継などにおけるホームランの描写。



大谷のホームランでGoing, going, goneがあると良かったのですが、Gone!とあるだけですね。

DMM英会話ブログ編集部 2014 07.05 Sat

実況編
バッターが打った球がホームランになりそうな場面です。
"It's going, going, … gone!"  「さぁ打球は大きく上がり、そのまま伸びて伸びて…入ったー!」
このように試合を実況するアナウンサーの言い回しがわかるとテレビ中継がより楽しくなります。

英語教師の方が受験英語の有用性を語るのはごもっともなのですが、多様な表現を仕入れることだって重要です。教科書や参考書から離れて様々な英語に触れる重要性も語ってもらいたいです。

親父ギャグが寒いEconomistですが、いつものように記事はよくまとまっています。なぜ今なの?という疑問を呈し、給料を安くしfringe benefitsで補填するのは日本ではよくあることでしょと指摘します。確かに金額は違いますが、大企業は給料以上に福利厚生が充実しているのは日本では承知の事実ですから、ゴーンさんの行為を容認する文化的背景はある訳です。

But several analysts have suggested another interpretation for this week’s events—that activities which were known about and once attracted a blind eye have now been used against Mr Ghosn. Japan has never indulged in the stratospheric executive pay common in the West. A ruse by Mr Ghosn to downplay his true total pay might have been considered politic. In Japan lower pay is often compensated for by plenty of fringe benefits that customarily go unreported.

フランス側に日産が乗っ取られることへの懸念が日産にあったのではという推測もしています。

Worse still for Nissan was the looming prospect of a French takeover. While other carmakers have, sometimes disastrously, attempted full mergers with rivals, the alliance has let Nissan and Renault share some functions, such as purchasing, while remaining independent. But this has not brought the full rewards of the cost-cutting allowed by a merger. Mr Ghosn wanted to make the alliance “irreversible”. He planned far more co-operation and probably had the backing of the French government for a merger. That prospect horrified senior people in Nissan, who had become disillusioned with Mr Ghosn, and also worried the Japanese government, which faced the prospect of a huge domestic firm being run from Paris. Mr Ghosn’s exit could signal the re-Japanisation of Nissan.

じゃあ提携を解消すればいいのかというと業界の事情を考えるとそうもいきません。どれもブランドとしては弱く、規模も小さくなるので電気自動車や自動運転車に向けた大規模投資はできないので生き残りは厳しくなるだろうと予測しています。

If the alliance breaks down, it will leave two separate car firms with weak mass-market brands and insufficient scale for the huge investments in electrification and autonomy that all carmakers need to make. Even if it drifts on in its present form, without the advantages of a full-scale merger, it will not be as competitive as the other giants of carmaking—Volkswagen, resurgent after the diesel crisis, and a buoyant Toyota. Mr Ghosn’s departure may well be shown to be justified. But it leaves the alliance in a state of huge uncertainty at a time of seismic change in the car industry.

日産にとってはゴーン解任で終わりというわけにはいかず、むしろこの後の舵取りこそが重要のようです。
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「呪縛」を英語では

 
「呪縛」なんて言葉は日常的に使いませんが、英語を言われるとなんだという感じがしますね。

(ウィズダム)
じゅばく 【呪縛】
▸ 呪縛をかける
spellbind / cast [put] a spell〘on him〙.
▸ 呪縛を解く
break the spell.
▸ 呪縛にかかっている
be under a spell.

まさにスペルと同じつづりですね。

公式 T4 (L&R 1 T2) Part3 
Could you spell your last name for me so that I can look up your account?
お客様のアカウントを調べられるように、名字のつづりを言っていただけますか。

ここからは最近読んだ本『プラトンの呪縛』の自分メモになります。このタイトルはカール・ポパーの『開かれた社会とその論敵』の第一部「プラトンの呪縛」から取ったもので、ポパーの英語版ではThe Spell of Platoとなっていました。

佐々木 毅

商品説明
   私たちは、過去の哲学をいつも正確に解釈しているわけではない。自分に都合のいい哲学を引っぱり出し、その解釈に何らかの恣意を働かせるのが常だ。かつて歴史の1ページに収められていた哲学が2000年の時を超えて突如よみがえったとき、そこにはどれほどの恣意が渦巻き、人間はどんな思想的危機に瀕していたのだろうか。『プラトンの呪縛』は、イデア説に代表される超越的秩序や新しい世界の「原理」による国家論を説いたプラトンが、「戦争と革命の20世紀」にいかに巻き込まれ、どんな解釈や批判、反批判が加えられていったかをたどることで、20世紀における哲学と政治思想の交錯のドラマに光を当てたものである。わかりやすく一言でまとめると、プラトンを軸にして20世紀という時代を振り返ろうとする試みであるといえよう。

   構成は全3部。第1部は、ドイツにおけるプラトンの「政治化」の経緯、そしてプラトンがファシストとして解釈されていく思想的背景が描かれている。特に、反自由主義・民主主義のシンボルとしてナチズムに利用されるプラトン像が浮き彫りにされる。こうして全体主義へと振れるプラトン解釈に対しては、やはりその反動が起こる。第2部では、英米からその役割を担ったファイト、クロスマン、ポパーの代表的なプラトン批判論が取り上げられ、検証される。西欧には、プラトンを西欧思想の定立者であり精神的権威とする伝統が存在するが、それが容赦なしにおとしめられていく20世紀前半の険しい空気が読み取れるだろう。第3部では、世紀後半の思想界がこの論争を、そしてプラトンをどう位置づけたのかを、多元主義の観点などから論じている。

   最後に、著者はプラトンを「警告者」として現在によみがえらせようとする。そこでは、自由民主主義のなかで権利のみを求め、そこに甘んじて堕していく、私たちの危機的状況が見事にえぐり出されている。プラトンの「呪縛」が続いているかのように。(棚上 勉)

内容紹介
第9回読売論壇賞・第11回和辻哲郎文化賞受賞作

時空を超えて甦るプラトンの警告
極端な自由は極端な隷従に振れる

第1次世界大戦後に訪れた民主主義の危機のなかで「精神の国の王」として甦り、さらにはナチズムにも利用された西欧思想の定立者・プラトン。彼は理想国家の提唱者なのか、全体主義の擁護者なのか。プラトンをめぐる激しい論戦を通して20世紀の哲学と政治思想の潮流を検証し、現代に警鐘を鳴らす注目作。

議論の進め方は専門的なので次のPDFを読んで内容がすっと入ってくる方なら本を購入して読んでみるといいかもしれません。ポパーが目の仇にしたプラトンはナチスやスターリンが見出したプラトンだったようです。

20世紀政治の中のプラトンと 『ポリティア』
佐々木 毅

本日の私の講演の目的は、20 世紀政治によるプラトンの政治的動員・利用とそれに対する反論を政治思想史の立場から要約的に紹介し分析することにある。
1960年代、プラトン論として有名であったのが、カール・ポパーの『開かれた社会とその論敵』の第一部(「プラトンの呪縛」)であった。 この作品は 20 世紀前半の大戦争と革命を経て新たに登場した全体主義体制(ファシズム・共 産主義体制)という史上全く新しい体制に対する批判と「われわれの文明」の擁護を目的とし ていた。彼によれば、全体主義という 20世紀の恐るべき政治体制の源泉は西欧思想の外部にあったのではなく、それ自身の中にあった。ここでプラトンは全体主義に連なる政治潮流の重要な源泉として、ヘーゲルやマルクスと並んで名指しされることになる。

素人はどうしてもプラトンが語った内容は不変のような気がしますが、どうやら第一次世界大戦を契機にプラトンの受容の仕方に変化が起きたようです。世界大戦というのはこれまでの認識を覆してしまうようなインパクトがあったんですね。

1.「政治人プラトン」の発見とその帰結~ニーチェからファシズムまで~

19 世紀末までのプラトン、特に、『ポリティア』についての理解は基本的に現実政治的な含意を持つものとは考えられていなかった。そこに「知性の貴族政」を見出すことはあっても、 その議論はユートピア的、空想的な議論の代名詞として取り扱われる傾向が強かった。また、プラトンは政治との関わりにおいて論じられるよりも、キリスト教や哲学的体系との関係で専ら関心の対象となった。

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プラトンが20世紀政治の中に持ち込まれる大きな転機になったのが第一次世界大戦であった。西欧世界内のこの大戦を通して、「西欧対ドイツ」という構図がドイツの知的世界に浸透し、リンガーによればドイツの古典教育 を受け大学で学んだ教養市民層はこうした中 で「近代派」と「正統派」とに分裂していく。「近代派」が近代社会の持つ意味を積極的に評価し つつ、その改革を主張したのに対して「、正統派」 は民主主義(平等主義)や社会民主党の脅威を 強調し、利益政治や議会政治を嫌悪し、ナショ ナリズムと軍国主義に好意的であったとされる。

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ナチス体制の下ではプラトンを民族の救済者として理解し、『ポリティア』の中に人種論の根拠を求めることが一般化するようになる(プラトンとヒトラーの出会い)。特に、プラトンの『ポリティア』における守護者層の教育論は「精神と性格、血と人種の貴族制」を示唆す るものとしてしばしば言及されるようになった。更に、ハンス・フリードリヒ・カール・ギュンターに代表される人種論者たちは好んで自 らの立場を補強するためにプラトンに言及した。このようにしてゲオルゲ派に見られたロマ ン主義的な共同体論は冷酷な人種支配関係論 によって置換されることになった。それと共に、 反平等主義もまた人種論によって色濃く支配されることになる。プラトンをめぐる激しい論戦の源にはこうしたドイツのプラトン理解があったのである。

この本は全体主義が読み取ったプラトンとそれを批判する流れを紹介するものですが、今の我々が学ぶべきなのは「警告者としてのプラトン」だとして佐々木先生は占めています。その辺りは書評問屋というブログがよくまとまっています。

2016年02月04日|ブックレビュー

4. 今、なぜプラトンなのか。

 佐々木毅はこうしたプラトンを巡る民主制・社会に対する議論を踏まえ、「警告者としてのプラトン」の重要性を説く。第一は、社会システムの意識的統合機能を弱体化するままに放置してよいのかどうか、という問いかけである。すでにマーケットの国際化によって民主制が空洞化と言い得る中で、「エリート支配やテクノクラシーについての新たな議論──「不平等な承認」をめぐる──を惹起することは間違いがない」という。第二は、この「平等な承認」の社会が何を基準とする社会であるのか、それは果たして人間の尊厳と徳にふさわしいものであるのか、ということを問いかける点である。「何が承認にふさわしいものか」「何のために」。「「平等な承認」という発想が人間の自己目的化──肉体の維持・存続が最大の価値であるという発想に見られるように──個々の人間に先だって「人間そのもの」「人間らしさ」を問うことは現実の人間を変えるという構想に結びついていたが、この関係が現代においてどうなっており、しかも将来にわたって何も考えなくてもよいのかとプラトンは強く疑問を発し、一定の回答を要求することであろう。自己利益の肥大化とそのさらなる肥大化を自己目的にする社会システムが何をもたらすかについて、そう予定調和的な話ができなくなっている現状は、改めて「何のために」いう問いが避けられなくなっていることを示唆している。そして、ここに新たな哲学と政治との接点が出てくる可能性がある」という。

この本が出たのは1990年代後半ですが、この指摘の重要性は変わっていないですよね。フランシス・フクヤマが最近の著作で語ったことににも近いと思いました。アメリカの中間選挙で民主党が躍進して、女性やマイノリティーが当選しましたが、これは細分化されたままであって、国としてのまとまりを見出せたとは思えません。


 

専門家に敬意を示して

 

Yutaもついつい専門家を専門バカと揶揄したり、マスメディアに対しても重要な問題を報じないと不平を述べたりしますが、単に自分のアンテナが反応していないだけなのかもしれません。。。

ノーベル平和賞の時にコンゴの紛争鉱物の記事を取り上げましたが、日本でも研究者の方がいらしたんですね。ブログで取り上げた時は紛争鉱物と性犯罪は直接結びついてなかったのですが、下記の記事を読んで不明を恥じました。

コンゴの人権危機と日本の消費者とのつながりを研究する
広報戦略本部 政策ビジョン研究センター
掲載日:2018年11月16日

「戦争の武器」としての性暴力
1999年のパンジ病院設立から約20年にわたって、ムクウェゲ医師は性暴力を受けた女性、少女や時には乳児に対して何万という手術を行ってきました。性暴力は、被害者の体を物理的に大きく傷つけて被害者本人に恐怖を植え付けるだけでなく、彼女らの家族やコミュニティを破壊するための「戦争の武器」として使われている、と2016年10月の伊藤謝恩ホールで行われた講演でムクウェゲ医師は話しました。

「世界経済は天然資源を必要としていますが、それらの資源は最貧国から来ています。資源の開発は性暴力と組織的に結びついています。性暴力は性的な欲求から来るものではありません。テロリズムの一種なのです」。



WSJの記事で状況はマシになってきているかと思ったら、華井先生によると紛争鉱物に関する規制ができても問題は残っているとか。。。

現在、武装勢力や軍などの関与がない、児童や妊婦の労働を伴わない、など、ある程度の基準を満たすコンゴの鉱石は認証を受け、「紛争フリー」というタグが付けられています。 日本には紛争鉱物に関する法規制はありませんが、米国の上場企業と取引する日本企業は米国法に対応する必要があります。

しかし、このことによって、日本では、産業界がコンプライアンス上の要件や社会的責任について非常に敏感になった一方、サプライチェーンの最下流にいる一般消費者はコンゴの状況や自らが間接的にせよコンゴの紛争にどのように関与しているかについて全く知らない、という状況を生み出した、と華井先生は話します。日本のメディアも同じで欧米のメディアに比べるとコンゴの報道は極めて少ない、と危機感を募らせます。

「一般市民の認識という点で、日本は世界の10周、周回遅れだと感じます」と華井先生。「グローバル社会に必死について行こうとしているのは企業だけで、消費者とメディアは完全に取り残されています」。

取引規制後も続く問題

国際的なモニタリングが始まり、今では武装勢力はコンゴのスズ、タンタル、タングステンの鉱山の80パーセント以上から撤退しました。そのこと自体は大きな改善だと華井先生は評価しています。

それにもかかわらず、市民に対する性暴力は今でも頻発していると専門家は指摘します。国連人口基金によると、コンゴの紛争地域における性暴力の件数は2016年の2593件から2017年の5783件に急増しました。その要因については専門家でも意見が分かれていますが、2015年以降、武装勢力の数はむしろ増えていると話す華井先生。鉱山から閉め出され資金源を失った武装勢力が細分化したことで増えました。現在は道路を石でブロックして車から通行税を取るという形で日銭を稼いでいると先生は話します。

ムクウェゲ医師も2年前に来日していて講演会をされていたんですね。東大のサイトで見ることができます。このように一般公開してくれているのはありがたいです。

コンゴ東部における性暴力と紛争鉱物(日本語字幕)

コンゴ東部では豊富な鉱物資源の採掘・流通が武装勢力の資金源として利用され、鉱山とその周辺地域で武装勢力が住民に残虐な暴力をふるう状況が2016年現在も継続しています。武装勢力は住民に恐怖感を与えて支配する「紛争手段」として性暴力を利用し、コンゴ東部は「世界のレイプの中心地」とよばれています。本シンポジウムでは、コンゴ東部で性暴力被害者への医療に取り組むデ二・ムクウェゲ医師を講師として招き、紛争鉱物と性暴力の関係、そして国際社会の責任についてお話しいただきます。その上で、コンゴおよびルワンダ産の鉱物取引に従事するアドバンスト・マテリアル・ジャパンの吉永氏より日本企業の取り組みの現状をお話しいただきます。

華井和代先生も本を出されているようです。

コンゴの紛争資源問題と消費者の責任

「世界の遠い地域で起きている紛争を解決・緩和するために、日本の一般市民には何ができるのか、本当のことが知りたい」これが、本書を貫く筆者の問題意識である。
 
グローバル化が進む現代では、日本国内で暮らす一般市民でも、日常的な活動を通じて世界の遠い地域とつながっている。紛争も同じである。現代世界の紛争の多くは途上国に集中し、途上国の紛争傾向には、低所得、低成長、一次産品輸出への依存といった経済的要因が強く影響している。また、アフリカの資源産出国では、資源収入が政府軍、反政府武装勢力の双方において軍事費を支えている。こうした途上国や紛争地域から輸出される資源や産品を主に消費しているのは、先進国の市民である。私たちの日常的な消費行動が生産地における問題とつながっていることを自覚して責任ある消費選択をする、あるいは、消費者世論を形成して企業の行動を監視する、そうした活動によって私たち消費者は紛争の解決・緩和に貢献できるのではないだろうか。また、途上国の問題を解決するために援助を行う国際援助機関への重要な出資者は、先進国の政府や市民である。援助先で起きている問題と解決への取り組みを理解し、責任ある支援や提言のできる思慮深い市民になることで、私たちは紛争の原因となる経済問題の解決・緩和に貢献できるのではないだろうか。

今回ムクウェゲ医師がノーベル平和賞を受賞したことで、映画の上映会も開かれるようでスケジュールが合えば是非とも足を運びたいと思います。
 

偉人伝と現実の狭間で

 
評伝にしろ、評伝映画にしろ、かっこよく理想化し過ぎる危険性があります。そのようなものをhagiographyと呼ぶそうですね。Lindsey Hilsumの評伝の書評で使われていました。

A friend and fellow war reporter details Colvin’s hard-drinking, hard-living decades and her inspiring career covering one humanitarian disaster after another
Lara Feigel  Sat 3 Nov 2018 07.30 GMT

Colvin’s need for war, like her drinking, seems to have become increasingly desperate over the course of her career. There are times when the book risks becoming a hagiography, but Hilsum avoids this by combining storytelling with asking important questions about what kind of service war correspondents perform and what ethical codes they should adhere to. It becomes clear that the entwined motives to get the best story and to change the world don’t always inspire the same action.

War reporters are employed by the newspaper or broadcaster that has sent them, so the first necessity is to get the story. During Colvin’s 27 years at the Sunday Times, its culture changed so that the correspondents were competing to bring back the best stories and to take the greatest risks. Colvin said in 2010: “We always have to ask ourselves whether the level of risk is worth the story. What is bravery, what is bravado?” She seems to have struggled to distinguish between them, partly because her editors encouraged her to pursue greater feats and partly because of a complicated personal combination of competitiveness, self-destructiveness and passionate sympathy with the underdog. At every point when she drove herself and her collaborators further, she believed that she was alleviating suffering. Sometimes she was, but she was also looking for a good story and fleeing the most recent chaos she had left behind at home.

安田さんの件もあり『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか――取材現場からの自己検証』という新書も読んだのですが、こちらの本でもジャーナリストを聖人のように取り上げることの違和感を複数の方が書いていました。

(ウィズダム)
hagiography
1 [U](文学のジャンルとしての)聖人伝; 聖人伝研究; [C]聖人伝(の本).
2 [U][C](理想化した)伝記.

(オックスフォード)
hagiography
a book about the life of a person that praises them too much; this style of writing

彼女の評伝は変に理想化するようなものではなかったそうで、Economistの書評ではMs Hilsum’s portrait is greatly enhanced by its franknessのように評していました。

In the widows’ basement
Marie Colvin was often the first correspondent into a hotspot, and the last out
Nov 1st 2018

Ms Hilsum’s portrait is greatly enhanced by its frankness. Colvin could be reckless. She had already been into Baba Amr and got her story, but returned against advice and without telling her editor. Sometimes she cut corners for a cause. She described a baby’s death in Baba Amr on the basis of a video rather than (as she implied) her own observations, because, the book suggests, she thought the image would move readers to think about Syria’s plight.

1987年のベイルートでのパレスチナ人難民キャンプの取材や1999年のインドネシア軍に包囲された東ティモールに最後まで残って報道したことで彼女は文字通り世界を動かしてきました。シリアで亡くなる直前のレポートはShe described a baby’s death in Baba Amr on the basis of a video rather than (as she implied) her own observationsとシリアの活動家の撮影したYoutubeだけを基に報じたことを書いています。活動家に裏を取ったようですが、あたかもそこに居合わせたのようなレポートをしてしまっているのも事実です。本を読むとそれまでは野外病院に出かけていたものの爆撃がひどくなりその時は外出できるような状況ではなくなっていたようですので、同情すべき部分は大いにあります。このレポートの直後に爆撃で命を落としてしまうのですが、Hilsumはシリア軍がジャーナリストを故意に狙ったと書いていて、訃報のニュースを見たときには喜び、作戦実行者には褒美として車が送られたとあります。。。今年Colvinの遺族がアサド政権を訴えたのもわかります。

次の動画がColvinの決死のレポートになります。冒頭にThis report includes graphic content. Viewer discretion is advised.とあるように生々しい映像がありますので閲覧にはご注意ください。確かに映像にはAmateur Video / YouTubeというクレジットがあります。



彼女の勇気には異論がありませんし、このシーンは映画A Private Warでもクライマックスになっているそうです。ただ、報道はどうあるべきなのかという問題を提起せざるを得ないようです。その場に居合わせずYouTubeの動画を見てレポートしたのなら、シリアの外で報道するのと何が違うのかというのが大きな争点です。活動家の映像の場合特に偏向しやすいという問題もあるでしょう。

そのような問題点を取り上げたのが次の本でした。911同時多発テロ以来、客観的なジャーナリズムというのが成立するのが難しくなり、記者も巻き込まれることが多くなってきた状況を考察しています。こちらの本も全編読む前に、Marie Colvinの部分だけを読んでしまいました(汗)

Lindsay Palmer

The September 11 attacks produced changes in journalism and the lives of the people who practiced it. Foreign reporters felt surrounded by the hate of American colleagues for "the enemy." Americans in combat areas became literal targets of anti-U.S. sentiment. Behind the lines, editors and bureau chiefs scrambled to reorient priorities while feeling the pressure of sending others into danger. Becoming the Story examines the transformation of war reporting in the decade after 9/11. Lindsay Palmer delves into times when print or television correspondents themselves received intense public scrutiny because of an incident associated with the work of war reporting. Such instances include Daniel Pearl's kidnapping and murder; Bob Woodruff's near-fatal injury in Iraq; the expulsions of Maziar Bahari and Nazila Fathi from Iran in 2009; the sexual assault of Lara Logan; and Marie Colvin's 2012 death in Syria. Merging analysis with in-depth interviews of Woodruff and others, Palmer shows what these events say about how post-9/11 conflicts transformed the day-to-day labor of reporting. But they also illuminate how journalists' work became entangled with issues ranging from digitization processes to unprecedented hostility from all sides to the political logic of the War on Terror.

Colvinに同行したカメラマンPaul ConroyのUnder the Wireという本が500円代と安かったこともあり並行して読んでいますが、戦場取材の大変さがよくわかります。防弾チョッキを着てパソコン、バッテリー、衛星電話などの持ち物を入れると20キロの重さを背負って移動するなんて行動を続けるだけでもすごいことです。

Colvinを取り上げたニュース番組ではこの問題はスルーしていますし、映画も恐らく彼女が実際に立ち会ったことにしているかもしれません。でもColvinが自ら語ったOur mission is to report these horrors of war with accuracy and without prejudice.(我々の使命は戦争の恐ろしさを正確に偏見を持たずに報道すること)を面倒ながらも受け止める必要があるのでしょう。もちろん面倒なことはスルーするのが一番であるということが一般人の生活の知恵であるのは十分に理解していますが。。。

 

伝記映画はbiopic

 


映画A Private Warについては以前も取り上げましたが、このような評伝映画はbiopicとなるようですね。

NOVEMBER 14, 2018 3:18pm PT by Scott Feinberg

A Private War is a gritty docudrama about the late, great war correspondent Marie Colvin, played in the film by Oscar nominee Rosamund Pike (Gone Girl). The first major release of Aviron Pictures, it had its world premiere at September's Toronto International Film Festival and has since received rave reviews from The New York Times, the Los Angeles Times and The Washington Post, among other major publications.

ABCの動画でも取り上げられていましたが、このbiopicはリアリティを追求し、実際のシリア難民の人に登場してもらったりしていることからか、この記事ではdocudramaとも呼ばれています。シリアで一緒にいたPaul Conroyの協力も受けているようで、この監督はドキュメンタリーを撮っていた人なのでいろいろなこだわりが反映されているようです。

(オックスフォード)
biopic
a film/movie about the life of a particular person
a political biopic about President Kennedy

docudrama
a film/movie, usually made for television, in which real events are shown in the form of a story

CNNではAmanpourが主演のRosamund Pikeと評伝の著者のLindsey Hilsumを迎えて話を聞いています。ABCの動画でも紹介されていた2000年のスピーチから。こちらはトランスクリプトもあるので英語学習にも活かせそうです。



15:54あたり
COLVIN: The pain of war is really beyond telling. I don't think I've filed a story and felt I got it. I really said what I want people to feel, but I do try and I think whatever the rights and wrongs of a conflict, I feel we fail if we don't face what war does, face the human horrors rather than just record who won and who lost. 
(戦争の苦しみは語り尽くせません。記事を通信社に送って、やり遂げたと感じたことがありません。人々に感じてもらいたいことを語ってきました。今でもそのように努めています。紛争が正しかろうが、間違っていようが、戦争がもたらすものと向き合わなければ駄目だと感じています。単に誰が勝って、誰が負けたかを記録するのではなく人の苦しみに向き合うのです。)

日本公開が未定ですが、せっかくシリアに注目が集まっている時期ですので少しでも早く公開できるようにして欲しいです。
 

ヒロシマとシリアをつなぐもの

 


biographyという言葉はTOEICでは人物紹介の「経歴」の意味で使われると書いたばかりですが、ここでは「評伝」を取り上げます。

以前このブログでも紹介した戦場記者のMarie Colvinのbiographyが出ました。書いたのはご自身もジャーナリストでColvinと一緒に働いたこともあるLindsey Hilsum。Yutaも読み始めたばかりです。どうしても最後のシリアが気になったので最終章を先に読んでしまいましたが。。。(苦笑)

November 4, 20188:00 AM ET

Many journalists are given the title of war correspondent. Few have really deserved it as much as Marie Colvin.

Colvin was an American reporter who wrote for the British newspaper The Sunday Times. She was unmistakable in war zones — she sported an eye patch to cover up an eye injured in a grenade attack while she was reporting during the Sri Lankan civil war.

「多読の効用」については、多読の苦手な人はどんな説明を受けてもピンとこないようですが、冒頭部分のような書き方に馴染んでおけば、TOEICの問題も選択肢を読まずに選ぶことができるようになります。

Many journalists are given the title of war correspondent. Few have really deserved it as much as Marie Colvin.
(多くのジャーナリストが戦場記者の肩書きを与えられている。Marie Colvinほどにふさわしい記者はほとんどいない)

ちょうど似た問題が先月出た公式問題集にありました。

公式4 T1 Part5
116. Many internal staff have expressed interest in the position, but ------- have the required experience.

誤答を説明できるようになるまでやり込むというアプローチが苦手な人は読む量を増やしていけばいいのではと思います。その方が文章のリズムをつかめるようになりますし。。。



脱線しましたが、彼女がジャーナリストになるきっかけは、大学時代にHiroshimaを書いたJohn Herseyのクラスを受けたことにあるそうです。

November 4, 20188:00 AM ET

GARCIA-NAVARRO: You can hear in that interview in Homs, Marie cared so much about the subject she would report on. We'll get to her death in a moment. But this book is about her life. She grew up in the small town, Oyster Bay on Long Island with a middle-class sort of stable family. A lot of the book is based on her own journals, her observations as a teenager than a college student. She was driven and curious and passionate.

HILSUM: She absolutely was. And one of the joys of writing this book is Marie's diaries. One of the things I enjoyed was - her family were incredibly generous. And I went down into the basement. And there were all these papers. And I found this little white plastic cover child diary, which was locked with one of those tiny keys. And I couldn't find the key. And so I had to slit it open. And there it was, Marie's first diary. And when she's 13, she writes very simply, to church - wore a mini - the mother and the father no like. And I thought, oh, I think I can see the woman I knew in that naughty girl. And then when she was at Yale, she did a class with John Hersey, one of most famous American journalists who wrote the great book "Hiroshima." And when she came out of that class, she said to her best friend, that's what I want to do. I want to tell the really big stories by telling them through the stories of the individuals, the victims of war. And that was what she set out to do.

John HerseyのHiroshimaについては何度もこのブログで取り上げていますが、下記のBBCの記事がどんな作品か、どのような影響を与えたのか説明してくれています。



22 August 2016

It was spring 1946 when John Hersey, decorated war correspondent and prize-winning novelist, was commissioned by The New Yorker to go to Hiroshima. He expected to write, as others had done, a piece about the state of the shattered city, the buildings, the rebuilding, nine months on.

On the voyage out he fell ill and was given a copy of Thornton Wilders's The Bridge of San Luis Rey. Inspired by Wilder's narrative of the five people who crossed the bridge as it collapsed he decided he would write about people not buildings. And it was that simple decision that marks Hiroshima out from other pieces of the time. Once in Hiroshima he found survivors of the bomb whose stories he would tell, starting from the minutes before the bomb was dropped. Many years later he told of the horror he felt, how he could only stay a few weeks.

Hersey took these accounts back to New York. Had he filed from Japan the chances of them ever being published would have been remote - previous attempts to get graphic photographs or film or reports out of the country had been halted by the US Occupying Forces. The material had been censored or locked away - sometimes it simply disappeared.


2016年09月19日

1946年の春。名高い従軍記者で、小説でも賞を取っていたハーシー氏は、ニューヨーカー誌から派遣されて広島を訪れた。原爆投下から9カ月後の広島に出向いて、それまでほかの記者たちがしてきたように、壊滅した街や建物、そして復興の様子について記事を書く予定だった。

現地へ向かう船旅の途中で体調を崩したハーシー氏は、米作家ソートン・ワイルダーの小説「サン・ルイス・レイ橋」を渡された。渡っていた橋が落ちてしまう5人の人生をたどるこの物語からヒントを得て、ハーシー氏は建物ではなく人間について書こうと心に決める。このシンプルな決断によって、ハーシー氏の「ヒロシマ」は同時代の大多数の記事とは一線を画すものとなった。広島に入った同氏は被爆者たちを見つけて、原爆投下の直前から始まる体験談を伝えた。同氏は何年もたった後の話の中で、当時大きな恐怖を覚えたこと、滞在を数週間で切り上げざるを得なかったことを振り返っている。

聞き取った経験談はニューヨークへ持ち帰った。もし日本から出稿していたら、記事が世に出る可能性は極めて低くなっていただろう。日本から生々しい写真や映像、報告を送り出そうとしたそれまでの試みは、米占領軍にことごとく阻止されていた。こうした資料は検閲を受けたりお蔵入りになったり、時にはただ消え失せたりした。

BBC のラジオ番組も取り上げてくれています)

ドキュメンタリーの予告編を見ると人物について書く態度はColvinも大切にしていたことが伺えます。



“I want to tell the story of each person. These are not numbers.”
(一人一人の体験を語りたいの。単なる数字ではないのだから)

 

TOEIC単語帳の精度を測る

 
ミシェル・オバマの本はautobiographyというよりもmemoirと紹介されていることが多いですね。まあまだお若いですから、memoir(回想録)の方がふさわしいかもしれません。

Freed from the political constraints of living in the White House, these famous women have over the decades shared their personal opinions with the public
By Bianca Sánchez
SMITHSONIAN.COM 
NOVEMBER 13, 2018 2:47PM

The release this week of Michelle Obama’s memoir, Becoming, in which the former First Lady shares her personal stories, including some from her time in the White House, continues a decades-long tradition. Beginning with Betty Ford in 1978, the six First Ladies who preceded Obama each published their own unique versions of an autobiography sometime during their first few years out of office.

本の紹介はTOEICでも頻出トピック。memoirもautobiographyも登場していました。

公式1 T1 (新形式T1) Part7
Growing Into Clothes: My Story
An amusing memoir about growing up in the fashion world. 
ファッションの世界で育ったことに関する、愉快な回想録。

公開17年12月 Part6
Mr. Tanaka, whose work includes over twenty novels, will be releasing his autobiography, A lifetime in Writing, on June 5. 
田中氏は、彼の作品には20以上の小説があるが、自叙伝A lifetime in Writingを6月5日に発表する。

biography(伝記)も書籍関連のトピックで登場する可能性がありますが、今のところTOEICでは人物紹介で「経歴」という意味で使われています。ウィズダムでは「経歴」を載せてくれていますね。

(ウィズダム)
biography
1 [C]伝記(→ autobiography)
▸ the biography of Chaplin
チャップリン伝.
2 [U]〖集合的に〗伝記文学, 伝記物.
3 [C]経歴, 来歴.

最新の公式問題集も「経歴」の意味で登場していましたね。

公式4 T1 Part3
You can find a full biography for each one of our doctors on our Web site to help you make your choice.
選択するのに役立つ、医師一人一人の詳細な経歴を、当診療所のウェブサイト上で見つけられますよ。

短縮系のbioも「経歴」の意味で登場していました。こちらはスピーチをする人物の経歴を紹介するものでした。

既出 T2 Part7
(flyer)
Mr. Tatsuo Nomura
Executive Vice President, Kyoto Financial Group, Japan

(text message)
Mr. Nomura's bio was somehow deleted from the flyer! 

お手持ちの単語帳が「経歴」としての使われ方をしっかり載せているか確認してみてください。TOEICの用例までしっかりとみながら書かれているか、著者の真剣味がわかると思います。別にTEXさんの太鼓持ちではないんですが、金フレはしっかりとカバーしてくれています。

(金フレ)
著者の簡単な人物紹介(略歴)
A brief b------ of the author

* TOEICでは、「伝記」の意味より「人物紹介」の意味の方が頻出。
[類]autobiography (自叙伝)

いくら満点保持の講師が単語帳を作ったとしても、こういう配慮が出てないようだとYutaの評価は厳しくならざるを得ません。まあ普通の人はスコア狙いなのでいいんでしょうけど。。。
 

Becomingのタイトルに込めた意味

 


ミシェル・オバマの自伝Becomingが発売になりました。次の記事を読んであれっと思ったのでタイトルの意味を見ていきたいと思います。まあオプラとの対談で答えを言ってしまっていますが。。。動画によると、何かになったからお終いというのではなく、常に自分らしさを出すために成長していくというプロセスの意味を込めてbecomingとしているようですね。

11月14日(水)6時10分 JBpress 高濱 賛

タイトルは「Becoming」(ふさわしく)。

 これまでの半生を振り返えり、女性として妻として母として、そして何よりも史上初の黒人ファーストレディとして、いかに「ふわしい存在」になろうと努力してきたか、その記憶と思い出が知的にエレガントに描かれている。

「Becoming」を「ふさわしく」と理解しようとしたのは辞書に見出語として載っている形容詞からでしょうか。

(ウィズダム)
becoming [形容詞]
1 ⦅肯定的に⦆ 〈服・髪型などが〉似合う.
2 適切な, 相応な.

でも、少しでもミシェル夫人を知っているならば、こういう型にはめる規範的な見方をするかなと疑うのではないでしょうか。オプラの動画でも触れていた本の前書き部分のAs if at some point you become something and that’s the end.にならないでしょうか。

Now I think it’s one of the most useless questions an adult can ask a child— What do you want to be when you grow up? As if growing up is finite. As if at some point you become something and that’s the end.

So far in my life, I’ve been a lawyer. I’ve been a vice president at a hospital and the director of a nonprofit that helps young people build meaningful careers. I’ve been a working-class black student at a fancy mostly white college. I’ve been the only woman, the only African American, in all sorts of rooms. I’ve been a bride, a stressed-out new mother, a daughter torn up by grief. And until recently, I was the First Lady of the United States of America— a job that’s not officially a job, but that nonetheless has given me a platform like nothing I could have imagined. It challenged me and humbled me, lifted me up and shrank me down, sometimes all at once. I’m just beginning to process what took place over these last years— from the moment in 2006 when my husband first started talking about running for president to the cold morning this winter when I climbed into a limo with Melania Trump, accompanying her to her husband’s inauguration. It’s been quite a ride.

このライターにはちょっと調べれば出てくるんだからちゃんと書いて欲しいと少し毒づきたくなりますが、こういう語感を得るのは日本人の英語学習者には難しい問題でもあります。TOEICでも動名詞はパート5の躓きのポイントですから。しかも、このbecomingをキャッチーな日本語タイトルに訳すとなると大変そうですね。

次の動画でタイトルに込めた意味をミシェル本人がズバリ語っていました。



One of the things I learned is that life is an evolutionary process. We are evolving. We will change and grow every year. And I hope that I never stop becoming. It's a title of promise. This is a journey. I'm 54 years old. I'm not done yet. I am still becoming who I am.

 

イーペルの思い出

 


日本のガイドブックでは触れられることは少ないですが、第一次世界大戦の激戦地の一つにベルギーのイーペルがあります。

(Wikipedia)
イーペル(蘭: Ieper、イープル、仏: Ypres)は、ベルギー西部、フランデレン地域のウェスト=フランデレン州にある都市。Boezinge、Brielen、Dikkebus、Elverdinge、Hollebeke、Sint-Jan、フラメルティンヘ (Vlamertinge)、Voormezele、Zillebeke、Zuidschoteの10の地区から構成される。第一次世界大戦中には第一次イーペルの戦いや第二次イーペルの戦いなどでドイツ軍と連合国軍の最前線として長期間戦闘が繰り返され、一時街は廃墟になった。

(Oxford学習辞典)
Ypres
a town in Belgium near which three separate battles (1914, 1915 and 1917) were fought in World War I. In the first, the British Expeditionary Force suffered terrible losses, the second involved the first use of poisonous gas as a weapon by the Germans, and the third resulted in the deaths of over half a million men.



(ロンリープラネット)
Top choice memorial in Ypres
Every night at 8pm, traffic through the Menin Gate is halted while buglers sound the Last Post in remembrance of the WWI dead, a moving tradition started in 1928. Every evening the scene is different; buglers may be accompanied by pipers, troops of cadets or a military band. There's usually at least 100 or so visitors, most of whom have some connection to someone who was lost in Flanders Fields.

毎晩8時に行われる、第一次世界大戦の死者を悼むLast Postはガイドブックに紹介されるほどの行事ですが、それがどのように維持されてきたかを紹介してくれている記事です。大戦の記憶をどのように留めていくのかが喫緊の課題になっている今、一つのケーススタディを示してくれるかもしれません。

(ガーディアン)
Descendants of first world war soldiers attend ceremony at Menin Gate, which bears names of 54,000 British dead
Daniel Boffey in Ypres
Sun 11 Nov 2018 16.11 GMT First published on Sun 11 Nov 2018 11.18 GMT

戦いが壮絶だったためか、イギリスにとって重要だったのはPasschendaeleの戦い100周年だったようで、昨年イーペルで記念行事が開かれていて、英国王室も参加していたようです。





(Oxford学習辞典)
Passchendaele 
a series of World War I battles (1917) fought near the small town of Passchendaele in Belgium. About 300 000 Allied soldiers and a similar number of Germans died, in terrible conditions

Yutaが滞在したのは半日ほどで大したことも言えないのですが、イーペルに訪れた感想を少しばかり。訪問動機は毒ガスが大規模に使われた最初の戦地で、この時期に英国人がつけるケシの花が咲き乱れていた土地でもあるからというものでした。壮絶な塹壕戦がどういうものか感じてみたいというのもありました。実際行ってみて一番印象に残ったのは墓地の多さでした。いや本当に至るところに墓地があり、数百メートルしか離れていないんじゃないかというものもありました。激戦地というのは知識として知っていましたが、この墓の多さは想像をはるかに超えていて今でも語り継がれている理由が少しわかった気がしました。
 

VimyとDieppe

 
(Oxford学習辞典)
Armistice Day 
11 November, the anniversary of the end of World War I, also called Poppy Day. People used to stop what they were doing at 11 a.m. on Armistice Day and stand in silence for two minutes to remember the dead. After World War II it was replaced by Remembrance Sunday in Britain and Veterans' Day in America.

11月11日は第一次世界大戦の休戦記念日。トランプが戦没者墓地への訪問をドタキャンしたことについてツイッターでは髪型が乱れることや日焼けスプレーが落ちることをなどの呆れた理由を勝手に推測されていました。。。

worried about the helmet hair & orange spray tan, couldn't waddle into the rain?

You were hiding in your hotel watching TV & tweeting while world leaders stood in the rain to commemorate fallen soldiers. You were afraid your spray-on tan would run, your fake hair would look even more ridiculous wet & you'd have to hold your own umbrella, if you could open it.

トランプとは対照的に男を上げる形になったのはカナダのトルドー首相。ツイッターで紹介されていたのはスピーチの最後の部分だったようで、スピーチ全部を見ると最初は雨が強過ぎて傘を差しています。。。



"As we sit here in the rain, thinking how uncomfortable we must be these minutes as our suits get wet and our hair gets wet and our shoes get wet, I think it's all the more fitting that we remember on that day, in Dieppe, the rain wasn't rain, it was bullets" 

ただ、こちらは第一次世界大戦関連ではなく、第二次世界大戦関連のもので昨年実施されたスピーチでした。

Prime Minister Justin Trudeau remembers the sacrifice made by Canadian soldiers during the Dieppe raid 75 years ago during World War II

「なぜDieppeか」気になるところですが、カナダの人的損害が大きかった場所のようです。

(Wikipedia)
ディエップの戦い(ディエップのたたかい、Dieppe Raid)は、1942年8月19日に行なわれた連合軍のフランスへの奇襲上陸作戦。正式な作戦名は「ジュビリー作戦(Operation Jubilee)」。不充分な兵力と作戦のため最初から勝算は薄かった上、事前に作戦実行の秘密がドイツ側に漏れていたため、連合軍は大損害を受け、完全な失敗に終わった。

(Oxford)
Dieppe
A channel port in northern France, from which ferries run to Newhaven and elsewhere; population 34,670 (2006). In August 1942 it was the scene of an unsuccessful amphibious raid by a joint force of British and Canadian troops to destroy the German-held port and airfield.



先週末パリに行く前にカナダのトルドー首相が訪れたのがフランスのVimy。第一次世界大戦の頃はカナダは独立国家になっていなかったのですが、カナダからの兵士が戦った場所のようで、この記念碑はCanadian National Vimy Memorialだそうです。



(Oxford)
Vimy Ridge, Battle of
An Allied attack on the German position of Vimy Ridge, near Arras, during the First World War. One of the key points on the Western Front, it had long resisted assaults, but on 9 April 1917 it was taken by Canadian troops in fifteen minutes, at the cost of heavy casualties.



このような動画を作成しているのもカナダの放送局です。DieppeもVimyもネイティブ向けのOxford英語辞典では触れてくれていましたが、学習辞典であるOALDの方では見出しになっていませんでした。Vimy近くのSommeではイギリス軍が参加した激戦地だったため掲載されています。

(Oxford学習辞典)
the Battles of the Somme 
two long battles that took place in the valley of the river Somme in northern France during World War I. In the first battle, which lasted from July to November 1916, more than a million British, French and German soldiers died. The second battle lasted two weeks in the spring of 1918, and almost half a million soldiers died. Very little ground or any other advantage was won by either side in these battles, which are considered among the most terrible in history.

もしOALDがカナダで作られていたら、VimyもDieppeも見出語に採用されていたことでしょう。休戦100周年を迎えましたが、参加国によって語られるストーリは少しずつ違うはずです。日本と第一次世界大戦についてはJapan Timesが記事にしてくれていました。

NATIONAL / HISTORY
BY ERIC JOHNSTON
STAFF WRITER

At 11 a.m., Nov. 11, 1918, the guns along the Western Front in France and Belgium fell silent. World War I, known at the time as the “Great War,” was at an end. What began in August 1914 as a conflict among the European powers that was widely predicted to be over by Christmas had exploded into the largest and bloodiest international conflict in history, involving dozens of countries from all corners of the globe. The hostilities involved Japan, which fought on the side of Great Britain, Canada, France, Belgium, Russia, Australia, New Zealand, the United States and a handful of other countries against Germany, the Austro-Hungarian Empire, Turkey and Bulgaria.

Historians generally agree that somewhere around 9 million military personnel perished in the war and another 22 million were wounded. It’s believed that more than 9 million civilians also died in the conflict. The war profoundly influenced everything that followed it in the 20th century, including World War II and the resulting Cold War.

A century later, Nov. 11 continues to be known as Remembrance Day, or Veterans Day in the United States. Today, as solemn official ceremonies to mark the 100th anniversary take place in many parts of the world, we look back at Japan’s role in the war and how that role shaped the country domestically and on the international stage.

 

専門家に耳を傾けよう

 


Al-monitorでの分析記事の切れ味で興味を持ったBruce Riedel氏。彼の本が550円だったこともあり読んでみました。


CIA高官で、クリントン政権などで政策立案にも関わった人物なだけに大変勉強になりました。本を読むとアメリカとサウジの関係も常に友好的なものではなかったとわかります。そもそも初代国王がルーズベルトのイスラエル建国の提案に対しきっぱりとNOと答えていました。パレスチナ問題の根の深さを感じます。イラン革命が起きるまではイランの方が重要視されていて、大統領が訪問したのはニクソンが初めてだったとか。また、ブッシュW大統領がイラク侵攻し、中東の民主化を唱えたことや、オバマ大統領が「アラブの春」でエジプトのムバラク政権を助けなかったことで、トランプ大統領が誕生するまでアメリカとの関係は良いものではなかったそうです。

動画や下記リンクの記事を読むだけでもサウジとアメリカの関係の概要が掴めると思います。

Fred DewsTuesday, November 28, 2017

1. In 2018, the U.S.-Saudi relationship will observe its 75th birthday

2. The U.S.-Saudi relationship is deeply troubled

3. Saudi Arabia’s involvement in Yemen’s civil war comes with enormous humanitarian and financial costs

4. Purge of the Saudi royal family is unprecedented

5. Muhammad bin Nayef’s removal will have a price in the world of fighting terrorists

本を読むだけでなく、講演会の話を聞くとより立体的に理解できると思いました。MBS皇太子はイスラエルびいきですが、彼の見立てだとパレスチナ問題ではこれまでの国王が深くコミットしてきた経緯もあり、また宗教界のパレスチナ支持も強いので表立ってイスラエル支持をするようなことはないようです。昨年、宗教界も弾圧したというニュースがありましたがこれも弾圧されたのが傍流に過ぎず本流の宗教界を邪険に扱ってはサウジの国そのものが成り立たないそうです。若者のMBS皇太子支持についても、表現の自由がない国で絶対君主制なので、民意というものを民主制のようには扱えないと冷静にみたりしていました。

また、この動画には51分あたりに亡くなったカッショギ記者も質問をしていました。ムスリム同胞団を認めていた1970年代のファハド国王の開放的な政策を褒めていました。ケネディから改革の必要性を迫られていたという要因もあるそうですが、奴隷制の廃止や女性の教育などの改革も行ったそうです。Riedelさんは、改革を進めたことが暗殺された一因となったかもと語っていたので、想像以上に保守的な国だということが伺えます。

動画は昨年のものですが、この時からイエメンでの戦争を強く批判しています。MBS皇太子の外交政策はイランやカタールとの断交、イエメンの戦争など、どれも目的がはっきりしないので泥沼化していると心配していて、アメリカも支持をやめるべきだとも語っています。アメリカの大統領は今のサウジとべったりですが、三権のうち立法の議会はイエメンの武器輸出に批判的になっているし、司法の裁判所は911同時多発テロでのサウジの責任を問題視しているとのことで、一枚岩ではなさそうです。最新の論考でもRiedelさんはイエメン政策を批判していて、アメリカは支援をやめるべきだと説いています。アメリカの武器を使っているので、アメリカは予備部品の供給をやめるだけでいいそうです。

Bruce Riedel November 4, 2018

中東なんて遠い国だしという方は、2013年のmemorandumの一節を。アメリカは原油の輸入が不要になりましたが、日本はそうはいきません。

Bruce RiedelThursday, January 17, 2013

For the United States, revolution in Saudi Arabia would be a game-changer. While the United States can live without Saudi oil, China, India, Japan and Europe cannot. Any disruption in Saudi oil exports either due to unrest, cyber attacks or a new regime’s decision to reduce exports substantially will have major impacts on the global economy.

専門家といっても、プロパガンダの片棒を担いでいる人もいるので注意をしないといけないですが。。。
 

こたつとみかん

 


こたつが使われなくなった今、若い子にとってはどうかはわかりませんが、日本人にとってはみかんと言えばこたつですね。それでは、みかんはアメリカやイギリスにとってはどんなイメージなのでしょうか。こういうイメージは辞書を引いても載っていないことが多いです。



English JournalはAmazon Unlimitedでフォローしているので1ヶ月遅れになってしまっていますが、11月号は漫画原作者で西郷隆盛の漫画も原作したSean Michael Wilsonさんのインタビューに「へえ〜」と感心させられました。

詳しくはインタビューを読んでいただきたいのですが、Wilsonさんが薩摩と聞いてまず思い出話をしてくれて、子供の頃のsatsuma mandarinについて語ってくれました。みかんがsatsumaと呼ばれることがあるのは知っていましたが、Wilsonさんにとってはクリスマスと結びつくもので、日本史を知るきっかけとなるものでした。

「さつま」と日本人が聞けば、食べ物は「さつまいも」か「さつま揚げ」を連想するでしょうが、英語では「みかん」になるというのも面白いです。同じ言葉を聞いても連想するものが違うケースがある(同じケースもありますが)、これも試験対策の学習では見落とされやすいものです。

(オックスフォード)
satsuma
a type of small orange without seeds and with loose skin that comes off easily
Word Origin
late 19th cent.: named after the former province Satsuma, in SW Japan.



Wikipediaにもクリスマスとミカンについて触れてくれていました。

(Wikipedia)
ウンシュウミカン
その他の地域のミカンにまつわる事柄[編集]
アメリカでは温州ミカンは「サツママンダリン」と呼ばれ、1878年にフロリダ州に移入された。温暖な南部では大規模な栽培が行われており、アラバマ州には「Satsuma」という名前の町がある。
イギリスやカナダでは年末年始に皮が固く剥け難いオレンジに替わって、ミカンを食べて家族と一緒の時間を過ごすのが100年以上前から続く伝統的な家庭での風景。そのため、ミカンはクリスマスオレンジと呼ばれている[28]。

このような話を記事の導入部に持ってきているものもあるので馴染みのあるものなのでしょうね。

by Silvia Killingsworth December 13, 2016
Hybrids be quiet, a species is talking.

My family moved around a lot, but one constant at Christmastime at my parents’ house is Satsuma mandarins—in a fruit bowl in the kitchen, or in the toe of my stocking. They come into season in November, hit the grocery shelves just after Thanksgiving and they are the best citrus by about a mile and a half.

我々日本人も「こたつにはみかん」と意識的に学んだわけではなく知らず知らずになくてはならないものになっていたはずです。ですから現地に住んでいるとなんてことのないことですが、外国語を外国で学ぶとこういう連想が起きにくいんですよね。

まあいつも書いていることですが「国内から一歩も出ずにウンタラ」の人々に決定的に欠けているのがこういう体験なんですよね。こういうのが欠けていると行間を読んだりするのが苦手になりやすく、小説なんかの物語を読んでもぴんと来ないことが多い。英語の運用力を高めるには教材を絞るのが効果的ですが、Yutaとしては浅く広くいろいろなことを学ぶことも平行して進めていってもらいたいなとも思っています。
 

Give voice to those who are otherwise abandoned

 


Yutaもイエメン内戦について無関心だった一人ではありますが、アメリカ政府もメディアも無視できないものになってきたようです。

ニューヨークタイムズも精力的にイエメン内戦について読み応えのある記事を載せています。

Written by DECLAN WALSH
Photographs and video by TYLER HICKS
OCT. 20, 2018

痩せ衰えた子供の写真がショッキングではありますが、次の記事は内戦の概要がわかります。銀行がインフレを起こしたり、公務員への給与未払いをしてイエメン経済を疲弊させていることが飢饉の遠因ともなっているそうで“This is an income famine,”という国連職員の言葉を紹介したりしています。

Written by Declan Walsh
Photographs by Tyler Hicks
Oct. 26, 2018

YEMEN’S ECONOMIC CRISIS WAS not some unfortunate but unavoidable side effect of the fighting.

In 2016, the Saudi-backed Yemeni government transferred the operations of the central bank from the Houthi-controlled capital, Sana, to the southern city of Aden. The bank, whose policies are dictated by Saudi Arabia, a senior Western official said, started printing vast amounts of new money — at least 600 billion riyals, according to one bank official. The new money caused an inflationary spiral that eroded the value of any savings people had.

The bank also stopped paying salaries to civil servants in Houthi-controlled areas, where 80 percent of Yemenis live. With the government as the largest employer, hundreds of thousands of families in the north suddenly had no income.

反政府のHouthiにしても援助を利用して私腹を肥やしているケースもあるようです。

THE SAUDI COALITION IS NOT solely to blame for Yemen’s food crisis.

In Houthi-held areas, aid workers say, commanders level illegal taxes at checkpoints and frequently try to divert international relief aid to the families of soldiers, or to line their own pockets.

At the United Nations on Tuesday, Mr. Lowcock, the humanitarian official, said that aid workers in Yemen faced obstacles including delayed visas, retracted work permits and interference in the work — problems, officials said privately, that were greatest in Houthi-held areas.

Despite the harrowing scenes of suffering in the north, some Yemenis are getting rich. Upmarket parts of Sana are enjoying a mini real estate boom, partly fueled by Yemeni migrants returned from Saudi Arabia, but also by newly enriched Houthi officials.

Local residents say they have seen Houthi officials from modest backgrounds driving around the city in Lexus four-wheel drives, or shopping in luxury stores, trailed by armed gunmen, to buy suits and perfumes.

ショッキングな写真を載せたこの記事に関してニューヨークタイムズはThis is our job as journalists: to bear witness, to give voice to those who are otherwise abandoned, victimized and forgotten.と弁明をしています。

The images we have published out of Yemen may be as unsettling as anything we have used before. Here’s why we made the decision to publish them.
By Eric Nagourney and Michael Slackman
Oct. 26, 2018
 
Some readers may feel they want to look away, too. And if experience is any guide, some are going to demand to know why we are asking them to look at all.
 
But we are asking you to look — and not just at Amal, but also at Shaher al-Hajaji, a scarred 3-year-old boy in the grip of malnutrition, and at Bassam Mohammed Hassan, an emaciated, listless young boy with an empty look in his eyes.
 
This is our job as journalists: to bear witness, to give voice to those who are otherwise abandoned, victimized and forgotten. And our correspondents and photographers will go to great lengths, often putting themselves in harm’s way, to do so.
 
This report, “The Tragedy of Saudi Arabia’s War,” was written by Declan Walsh, and the photographs were taken by Tyler Hicks. To bring it to you, they not only had to navigate their way through a country devastated by war but also through their own emotional trauma.
 
さらには我々は具体的にどのように支援できるかについても記事にしています。白川優子さんが所属している国境なき医師団も含まれています。 
 
By Aodhan Beirne
Oct. 27, 2018

先ほど紹介した報道写真家のLynsey Addarioさんの記事も今週のNew York Times Magazineに載るそうでウエブサイトに上がっていました。リンク先の記事ではAddarioさんの写真やビデオも一緒に見ることができます。こちらはHouthisがどのような組織かわかる読み応えのある記事になっています。印象としてはアフガンのタリバンみたいな感じですね。

Saudi Arabia thought a bombing campaign would quickly crush its enemies in Yemen. But three years later, the Houthis refuse to give up, even as 14 million people face starvation.
By ROBERT F. WORTH
Photographs by LYNSEY ADDARIO

The Houthis, who are named for their founding family, have lost much of the southern territory they once ruled, but in most ways the war has made them stronger. Battle has sharpened their skills and hardened their resolve. It appears to have deepened their hold over a population that is weary of revolt and desperate for order of any kind. Some families, I was told, keep donation boxes with the words “In the Path of God” printed on them; everyone, young and old, contributes what cash they can to the war effort. Just before I arrived, members of a northern tribe not far from Sana, the capital city, packed up several hundred vehicles with grapes, vegetables, sheep, calves, cash and weapons. The convoy drove some 170 miles, across mountains and deserts — at constant risk of Saudi airstrikes — to support Houthi fighters on the front line near the Red Sea port city of Hudaydah.

It is tempting to see a certain poetic justice in the Houthis’ vengeful rage against Saudi Arabia. Their movement was born, three decades ago, largely as a reaction to Riyadh’s reckless promotion of its own intolerant strain of Salafi Islam in the Houthi heartland of northwestern Yemen. Since then, the Saudis — with the help of Yemen’s former ruler, Ali Abdullah Saleh — have done all they could to corrupt or compromise every political force strong enough to pose a threat. The Houthis are a result: a band of fearless insurgents who know how to fight but little else. They claim a divine mandate, and they have tortured, killed and imprisoned their critics, rights groups say, just as their predecessors did. They have recruited child soldiers, used starvation as a weapon and have allowed no dissenting views to be aired in the media. They have little will or capacity to run a modern state, and at times have seemed unwilling or unable to negotiate for peace. But this, too, is partly a measure of Saudi Arabia’s fatal arrogance toward its neighbor, a long-term policy of keeping Yemen weak and divided.

長い記事の場合、いろいろ学べることがあります。2015年オバマ政権の時にサウジによるイエメン内戦の介入が始まったのですが、なぜオバマが許可したのか、Yutaとしては不思議でした。以下の部分を読むとイランの核合意をサウジに認めてもらうためにもあまり厳しく言わないようにしようという配慮があったことが伺えます。

The truth was somewhat different. The Obama administration agreed to support what the Saudis called Operation Decisive Storm with considerable reluctance, seeing it as an unwinnable proxy war against Iran. One former administration official told me the decision was partly a measure of tensions with Riyadh over the pending Iran nuclear deal, which the Saudis viewed as a potentially dangerous act of appeasement. Refusing to back the Saudi adventure could have damaged an important relationship, the official said. The risks of supporting it seemed acceptable, at least at first. But the Houthi forces proved unexpectedly resilient. Within weeks, Pentagon officials began complaining about the clumsiness of the Saudi bombers and the absence of any clear war strategy. John Kerry, Obama’s secretary of state, tried and failed to negotiate a truce.

また、アメリカから武器を大量に購入しているサウジですが、強力な陸軍は持っていないそうです。軍によるクーデーターを警戒してという理由は中東というお国柄が透けて見えます。

But the Saudi case for war has not been paired with any realistic strategy to win it. Like many other Arab countries, Saudi Arabia has never built a substantial land army, in part because its rulers fear that a strong military could be used to overthrow them. For all the bombs being dropped on Yemen, the Saudis lack the ability to push the Houthis back from the border; instead, Houthi combat squads regularly attack and rout Saudi ground forces inside the kingdom. The Emiratis, the other main force in the coalition, have been more involved in training and supporting local Yemeni groups to fight against the Houthis. They have also done a slightly better job of encouraging an alternative model for the country; in Mukalla, a semblance of normal city life has resumed. But some of the Emiratis’ partners are corrupt and extremist and have a history of fighting among themselves. They have also been accused of orchestrating assassination campaigns against local Yemeni figures whose agendas they oppose.

これを機会にイエメンについてもいろいろな記事を読んでいこうと思います。
 

誘拐されたジャーナリスト

 


2015年に自伝がでた時にもこのブログで紹介しましたが、報道写真家のLynsey Addario。パキスタンやリビアで誘拐された経験を持ちます。これまでの写真をまとめた本“Of Love and War”を出したようでインタビューに応じています。彼女を主人公にしたハリウッド映画でスカーレット・ヨハンソンが演じることが話題になりましたが、最近カッショギ事件でヨハンソンが辞退したとニュースになりましたね。

Actor vetoed money from Mohammed bin Salman for a biopic in which she will play photojournalist Lynsey Addario
Benjamin Lee
Wed 24 Oct 2018 16.21 BST 

彼女が写真を発表しているニューヨークタイムズでもインタビュー記事が出ています。彼女の写真もたくさん見れてオススメです。

紛争現場は20年前と変わったこととして、現地政権からジャーナリストが標的になっていることを挙げています。したり顔で安全確認をしてから現地入りしろと言っている日本人は現状を理解していないですよね。。。このような状況で安全確認をしたら政府のプロパガンダしか流せないでしょうし。。。

20 years of photographs of conflict and women’s issue are collected in her new book “Of Love and War”
By James Estrin
Oct. 23, 2018

Q: What’s different about being a photographer today than in 2000?
A: I think the main thing is that journalists are a target now in a way that they weren’t before. I think that I used to find security and protection in saying, “I’m a journalist” and feeling that people respected journalists. Obviously now I don’t feel that’s the case.

Look at [Jamal] Khashoggi. Look at Marie Colvin. Myself when I was kidnapped with Tyler [Hicks], Steve [Farrell] and Anthony [Shadid] in Libya. Journalists are constantly the targets of governments who do not want certain stories told. And the governments act with impunity, and often get away with it.

I think that requires journalists to do their homework. They have to understand the situation on the ground. They have to make sure that they have a very trustworthy team.

子供を育てながら戦地に赴く彼女は日本だと袋叩きにあいそうで怖いです。海外に出る女性の報道写真家は今でも少ないそうですが、中東のような地域では女性を撮影するのは難しいですから女性としてのメリットを活かすことができると語っています。

Q: What about being a woman photographer? Is there any difference from 2000 to today?

A: Unfortunately I don’t think there is a huge difference. There are not many more women working on the front line now than there were when I first started. I always assumed that would have changed, but I don’t really see that.

There are a lot of female photographers working domestically in the U.S. but not necessarily ones that are willing to work in war zones or go into the situations where I’m working. I’m always very happy to see another female photographer when I’m out in the field.

I’ve always said I think it’s a big asset to be a woman in this field, given the countries that I work in. I have access to men and women.

Q: There’s a half of the world that men can’t really photograph in some countries.

A: Exactly. And if they can photograph them, then the access is going to be very uncomfortable and a lot more restricted.

先日スター記者が海外からくるのではなく、現地の人々が発信する重要性を取り上げましたが、表現の自由が規制されている地域では現地の人がそのようなことをするには危険を伴うので、外部の人が報道することは意義があると語っています。確かにそのような点は無視できませんね。

Q: I mean that there’s a critique that our coverage of news was totally Western-centric and at times colonialist. It’s only when it started getting too dangerous that we started employing more local people.

A: Sure. I get it. Look, in an ideal world there would be so many more local photographers and journalists because I think that they should be telling their own stories. But I think the reality is that because sometimes they live under governments that don’t really allow for freedom of expression, they feel more threats telling stories in an honest way in their own countries, especially sensitive ones about human rights abuses or political issues. They can’t really tell those stories without running the risk of getting thrown in jail. As outsiders, we are able to go in and tell much more politically sensitive stories.

The reality is all of these stories need to be told, and if it’s told by an outsider or an insider, the important thing is that the stories are getting told. I think in an ideal world, you’d have more insiders and some outsiders. But sometimes that’s just not possible.

When people start critiquing how stories are told, it’s often people who have not been outside the comfort of their own country. But it’s good to entertain all criticism because it’s very important to talk about these things.

Vanity Fairでも短いインタビューを載せていました。SNSが発達したから、誰も行かないような地域に行くようにしていると語っています。

In her first published collection of photographs, Of Love and War, photojournalist Lynsey Addario looks past her subjects’ impossible circumstances to show beauty and their humanity.
by ERIN VANDERHOOF
OCTOBER 30, 2018 6:11 PM

The cynical view is that the conflicts don’t always get resolved, but the press just goes away. For example, your photographs of the Syrian conflict have so much emotional force, but the war is still going on. How do you stay hopeful despite that?

The war has gone so long, and because it’s been so graphically depicted over and over, the public has become inured to the violence and suffering. It’s dangerous, because we have a job as photographers and journalists to keep those stories on the radar, and it’s hard to do when the public doesn’t care.

At the end of the day, a compelling story will get people’s attention, but if you just bombard people with images of violence, they’re not gonna care. It’s about humanizing the story. It’s about showing an intimate view and giving people a way to enter the story and to care. That takes more time and it’s hard to do. . . . We live in the age of social media, and we’re bombarded by thousands of images every day. So you have to figure out how to make your work stand out. I try to do a different take on a scene. What is interesting to me is going to places that people have forgotten about. A story is less interesting to me if there are 35 other photographers standing next to me. I’d rather now go to places where people aren’t really going anymore. I was just in northern Nigeria, and I just got back from Yemen. These places are hard to get to, but [the stories] need to be told.

NPRにも出ていました。こちらは個々の写真の背景について詳しく説明してくれています。

October 25, 20185:31 PM ET
Heard on All Things Considered

批判に応えて彼女はさらっと以下のように言っていましたが、現在の日本にもぴったり当てはまりそうですね。。。

When people start critiquing how stories are told, it’s often people who have not been outside the comfort of their own country.
 (ニュースの報じられ方を批判し始める場合、居心地のいい自分の国から外に出たことがない人たちであることがあります)
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