Posted at 2015.08.08 Category : 未分類
WSJの良いところは日本語翻訳版もあるところです。先ほど紹介した記事も日本語版がありました。日本軍の捕虜になった軍人の寄稿記事です。
The end of the Japanese Illusion
The moment the sky over Nagasaki lighted up, I made a bet with my fellow POW that we would soon be set free. I was right.
【寄稿】日本の幻想消し去った原爆投下
By LESTER TENNEY
Aug. 5, 2015 12:50 p.m. ET
What does it mean to fight to the end? In April 1942, it meant fighting until my tank battalion and I were forced to surrender at the Battle of Bataan. For everything else that followed I only fought to survive: the Bataan Death March, brutal transport aboard a “hell ship” to Japan and slave labor in a Mitsui coal mine.
最後まで戦うとはどういう意味だろうか。それは1942年4月、私が所属していた戦車大隊がフィリピン・バターン半島での戦闘で降伏を余儀なくされるまで戦うという意味だった。その後は、生き残るための戦いがすべてだった。「バターンの死の行進」や日本へ向かう「地獄の船」で受けた非人道的な扱い、そして三井炭鉱での強制労働のすべてがである。
For my imperial Japanese enemy, in contrast, to fight to the end meant to give his life in a presumably noble and glorious fashion. He would die for the emperor—who ruled by divine right—confident that he would be enshrined with his ancestors for his efforts in defense of a mythic civilization. There could be no surrender and no negotiated peace. Death itself was beautiful, and death alone was honorable.
それとは対照的に、敵である「大日本帝国」の国民にとって、最後まで戦うという意味は気高く、かつ立派と思われる方法で己の命を投げ出すことだった。彼らは天皇のために死んだ。神話の国を守るための努力が認められ、先祖と共に祀(まつ)られることを信じていた。降伏や平和交渉はあり得なかった。死はそれ自体が美しく、名誉なことだった。
The atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki on Aug. 6 and 9, 1945, upended this belief. The bombs showed the Japanese the devastating and ultimately inglorious outcome of their fight. The bombs offered no true opportunity for confrontation and no chance of death with honor; they promised only obliteration.
だが、1945年8月6日に広島、9日には長崎に投下された原子爆弾がこの考え方をひっくり返した。原爆は日本人に対し、戦争の破滅的で不名誉な結果を見せつけた。原爆は最後まで対決する機会を与えず、名誉の死を遂げる機会も与えず、ただ破壊をもたらしただけだった。
この部分を改めて紹介したいと思ったのは、ドナルドキーンさんのお話を思い出したからです。雑誌『東京人』2014年2月号に以下のようにありました。
「絶対、捕虜になるな」「捕虜になるのは最悪の恥辱である」との思想を植えつけられていた兵士たちが、最後の手榴弾を敵に投げず、自分の胸に当てて絶命していたのです。大変驚きました。どの国でも、日本軍のそんな極端な思想を知れば驚いたでしょう。生き残ることは決して恥ではないのに、そんな非人道的な行為が理解できませでした。
なぜ彼らは死を選んだのか。戦争の途中でハワイ大学の図書館に行き調べました。すると日露戦争では多くの日本人が捕虜になっていたことを知りました。
さらに日本人の将校たちは、捕虜となったことを恥とは思わず、収容所での劣悪な環境をジュネーヴ条約で主張するなど、普通の人間らしい態度を見せたと残された記録から知りました。もちろん、日本に帰って責められたこともありませんでした。つもあり、捕虜になるのは恥辱という話は、昭和初期の軍部が作った「嘘」でした。情報を操作し信じさせるために、未来に可能性を持つ若い日本人たちが無意味に死んでしまったのです。
伝統とやらを持ち出すのは、上からの命令を効果的に実行できるからでしょうか。遠い目をして誇らしげにこういったものを出すより、自分としては高田純次を目指したいと真剣に思います。
The end of the Japanese Illusion
The moment the sky over Nagasaki lighted up, I made a bet with my fellow POW that we would soon be set free. I was right.
【寄稿】日本の幻想消し去った原爆投下
By LESTER TENNEY
Aug. 5, 2015 12:50 p.m. ET
What does it mean to fight to the end? In April 1942, it meant fighting until my tank battalion and I were forced to surrender at the Battle of Bataan. For everything else that followed I only fought to survive: the Bataan Death March, brutal transport aboard a “hell ship” to Japan and slave labor in a Mitsui coal mine.
最後まで戦うとはどういう意味だろうか。それは1942年4月、私が所属していた戦車大隊がフィリピン・バターン半島での戦闘で降伏を余儀なくされるまで戦うという意味だった。その後は、生き残るための戦いがすべてだった。「バターンの死の行進」や日本へ向かう「地獄の船」で受けた非人道的な扱い、そして三井炭鉱での強制労働のすべてがである。
For my imperial Japanese enemy, in contrast, to fight to the end meant to give his life in a presumably noble and glorious fashion. He would die for the emperor—who ruled by divine right—confident that he would be enshrined with his ancestors for his efforts in defense of a mythic civilization. There could be no surrender and no negotiated peace. Death itself was beautiful, and death alone was honorable.
それとは対照的に、敵である「大日本帝国」の国民にとって、最後まで戦うという意味は気高く、かつ立派と思われる方法で己の命を投げ出すことだった。彼らは天皇のために死んだ。神話の国を守るための努力が認められ、先祖と共に祀(まつ)られることを信じていた。降伏や平和交渉はあり得なかった。死はそれ自体が美しく、名誉なことだった。
The atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki on Aug. 6 and 9, 1945, upended this belief. The bombs showed the Japanese the devastating and ultimately inglorious outcome of their fight. The bombs offered no true opportunity for confrontation and no chance of death with honor; they promised only obliteration.
だが、1945年8月6日に広島、9日には長崎に投下された原子爆弾がこの考え方をひっくり返した。原爆は日本人に対し、戦争の破滅的で不名誉な結果を見せつけた。原爆は最後まで対決する機会を与えず、名誉の死を遂げる機会も与えず、ただ破壊をもたらしただけだった。
この部分を改めて紹介したいと思ったのは、ドナルドキーンさんのお話を思い出したからです。雑誌『東京人』2014年2月号に以下のようにありました。
「絶対、捕虜になるな」「捕虜になるのは最悪の恥辱である」との思想を植えつけられていた兵士たちが、最後の手榴弾を敵に投げず、自分の胸に当てて絶命していたのです。大変驚きました。どの国でも、日本軍のそんな極端な思想を知れば驚いたでしょう。生き残ることは決して恥ではないのに、そんな非人道的な行為が理解できませでした。
なぜ彼らは死を選んだのか。戦争の途中でハワイ大学の図書館に行き調べました。すると日露戦争では多くの日本人が捕虜になっていたことを知りました。
さらに日本人の将校たちは、捕虜となったことを恥とは思わず、収容所での劣悪な環境をジュネーヴ条約で主張するなど、普通の人間らしい態度を見せたと残された記録から知りました。もちろん、日本に帰って責められたこともありませんでした。つもあり、捕虜になるのは恥辱という話は、昭和初期の軍部が作った「嘘」でした。情報を操作し信じさせるために、未来に可能性を持つ若い日本人たちが無意味に死んでしまったのです。
伝統とやらを持ち出すのは、上からの命令を効果的に実行できるからでしょうか。遠い目をして誇らしげにこういったものを出すより、自分としては高田純次を目指したいと真剣に思います。
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