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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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しっかりしてよ日経翻訳部

 
単なるタイポなんでしょうけど「涙の道」の年号が1938-39と100年間違っていました。原文が間違っているかもしれないとEconomistを確認しましたが原文はちゃんとIn the winter of 1838-39となっていました。

米20ドル紙幣の顔、女性に 失墜した大統領に代わる
2016/5/6 6:30

The $20 bill
Not going to Jackson
Harriet Tubman is set to replace Andrew Jackson, and rightly so

Apr 23rd 2016 | NEW YORK | From the print edition

ジャクソン元大統領は米国の先住民に対して無慈悲な行いをしたことでも悪名が高い。2期にわたる任期の初年となった1829年に同大統領は、ミシシッピ川以西の土地を原住民向けに割り当てるよう議会に求めた。そして半年も経たないうちに「インディアン強制移住法」に署名した。この法律は先住民のチェロキー族、クリーク族、チョクトー族、チカソー族、セミノール族を生まれ故郷である米国南東部から追い出すことを定めたものだ。

Jackson is also notorious for his ruthless treatment of Native Americans. In 1829, the first year of his two-term presidency, Jackson asked Congress to earmark land west of the Mississippi river for Indians. Less than six months later he signed the Indian Removal Act, a law that would eventually push the Cherokee, Creek, Choctaw, Chickasaw and Seminole tribes out of their native lands in the American south-east.

ジャクソンが始めたこの政策はマーティン・ヴァン・ビューレンが受け継いだ。1938年から1939年にかけての冬、寒さの中で移住を強いられたチェロキー族1万5000人のうち4分の1が、「涙の道」と呼ばれる1000マイル(約1600キロ)の道の途上で命を落とした。彼らは慣れ親しんだジョージア州、テネシー州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州の地を追われ、後にオクラホマ州となる土地に向けて徒歩で移動させられたのである。

In the winter of 1838-39 (Martin Van Buren finished the job Jackson started), a quarter of the 15,000 migrating Cherokee died on the 1,000-mile “trail of tears”, trekking in the cold from their lands in Georgia, Tennessee and the Carolinas to what would later become Oklahoma.


単なるタイポを英語学習者にありがちな教養・歴史への無関心という問題に引きつけるのは強引なんでしょうけど。慣れないトピックだと間違いを間違いだと気づかないのでアメリカの有名な歴史トピックはおさえるようにしたいですよね。Oxfordやロングマンの学習辞典で見出しになっていますのでこういうのは基本事項です。



(Wikipedia)
涙の道(なみだのみち、英:Trail of Tears)とは、1838年にアメリカ合衆国のチェロキー族インディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動(Population transfer)させたときのことをいう。このとき、15,000名いたチェロキー族のうちおよそ4,000名が途上で亡くなった[1]。
チェロキー族の「涙の道」は、1830年の「インディアン移住法」の規定に基づいて署名されたニュー・エコタ条約の実践として起こった。条約は東部のインディアンの土地とミシシッピ川以西の土地との交換を取り決めたものであったが、インディアンの選ばれた指導者達にもチェロキー族の大多数の人々にも受け入れられてはいなかった。それにもかかわらず、条約は時のアメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンによって実行に移され、西部に出発する前に合衆国軍が17,000名のチェロキー族インディアンを宿営地にかり集めた。死者の多くはこの宿営地での病気で倒れた。最初の集合の後は、合衆国軍の役目は限られたものになり、チェロキー族が移動の大半の監督を担当した。
チェロキー族の言語で、この出来事は、nvnadaulatsvyi 「我々が泣いた道」と呼ばれている。チェロキー族は、合衆国のインディアン移住の動きの結果として移動させられたインディアンでは唯一のものではなかった。「涙の道」という言葉は同じように移動させられた他の種族、特に「5つの文明化された部族が体験したときも使われた。元々この言葉は最初に5つの文明化された種族の一つ、チョクトー族が強制移住させられた時に生まれた。

(オックスフォード)
the Trail of Tears
the name given to the long journey from Georgia to Oklahoma made in 1838 by the Cherokee and other Native Americans. They were being forced by the US government to move to the Indian Territory, and thousands died on the way.

(ロングマン)
Trail of Tears, the
the path that the Cherokees travelled in the autumn and winter of 1838 to 1839 because the US government forced them to move away from their homes in the southeast US to reservations west of the Mississippi River. The journey was extremely long, cold, and difficult, and about 4000 Cherokees died.

こういう恥ずかしいミスをしなくていいよう、英語学習方法自慢、スコア自慢はもういいいから早くコツコツといろいろな知識を身につけていきましょう。
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