Posted at 2013.05.04 Category : 読書報告
ギリシア神話について記事で触れた折りに思い出したのがルーベンス展が東京で開かれたときに読んでみた本で、ギリシア神話についてまとめたの詩人のオウィディウスの『変身物語』が「画家の聖書」とされていたことでした。
![]() | NHKカルチャーラジオ 文学の世界 ギリシャ神話―ルネッサンス・バロック絵画から遡る (NHKシリーズ) (2011/03/25) 逸身 喜一郎 商品詳細を見る |
2年前になりますがNHKカルチャーラジオで『変身物語』を通してルネサンスバロック絵画を読み解く番組がありました。はじめにの一節をご紹介します。
ルネサンス・バロックの絵画には、ギリシャ神話が題材になっているものが少なくない。単純化を承知でいえば、聖書とギリシャ神話の知識なくしてこの時代の絵は理解できない。(中略)
神話改変の積み重ねの歴史にあって重大な役割を果たしているのがローマの詩人のオウィディウス、とりわけ『変身物語』である。この作品は神話をあれこれ採集し、自分の語り口で「書き直した」ものであるが、その後のヨーロッパ世界にとって「ギリシャ神話決定版」のような役割を担った。今日の人々がなんとなく知っている、たとえば子供の頃に読んだギリシャの神話の元をたどれば、たいていオウィディウスの『変身物語』にたどりつく。
絵画をギリシャ神話に絡めて丁寧に読み解いていくもので、へえ~って感じで当時の絵画をよりよく理解出来ます。特にギリシャローマ神話と英語名称がごっちゃになりがちですが、このテキストではそのあたりも整理して書いてくださっているので大変助かります。
『変身物語』は岩波文庫で出ていますが、英語ならグーテンベルクで無料で読めます。
THE METAMORPHOSES.
Ovid
今回の記事を書く時にたまたま発見したのが以下のサイトなんですが、オウィディウスの『変身物語』の影響の大きさを実感できます。
オウィディウスの『変身物語』––––16・17世紀の挿し絵本とフランス絵画
新畑泰秀
水面に映る自己の姿に恋い焦がれて憔悴し、水仙へと変身したナルキッソス。女神アフロディテに愛されるも、狩の途中野猪に襲われ、太股の傷口から溢れでる血潮よりアネモネに変身したアドニス、太陽神アポロとの遊戯のさ中、不運にも円盤が頭部にあたり、同様に傷口から流れ出る血潮からヒアシンスに変身したヒアキントス・・・。遠い昔日より西欧世界の文芸にはかり知れない霊感を与え続けてきたローマ詩人オウィディウスがうたう神々の世界の愛と変身の物語。このひろく知られた古典文学が、具体的な姿をもって世に流布し、かつ一般的なイメージとして定着したのは、いったい何時の頃のことであったのだろうか。
このサイトは、16世紀中頃から17世紀にかけて、ヴェネツィア、パリ、フランクフルトをはじめ、ヨーロッパ各地で出版されて流行し、ニコラ・プッサン、ペーテル・パウル・ルーベンスらバロック期の巨匠たちに多大な霊感を与えた『変身物語(メタモルフォーセス)』の挿し絵本をテーマとするものであり、それらに掲載されたイメージを公開するものである。今回はその第一段として、日本大学芸術学部図書館が所蔵する、1651年にパリの出版社オーギュスタン・クールベによって出版された版『オヴィディウスの変身物語−フランス語韻文による翻訳』(1)を紹介する。
ただ、ルネサンス・バロックの絵画には、神話だけでなく寓話や歴史も入り混じっているようです。英語のmythには神に限定されるものではないそうです。
日本語の「神話」は「神」という字を含んでいるから、「神話」とは神々が起こす出来事の話のように読めてしまう。しかし「神話」とは、英語でいえばmythであり、mythの語源はギリシャ語の「ミュートス」mythosである。mythosとはそもそも「お話」の意味であって、必ずしも神々に限定されるわけではない。
カエサルが星となって神となるように、神話は同時代の権力を顕示するためにも使われる。ルーベンスの絵は、対象こそ「新世界」であるがその伝統を受け継いでいる。紀元前一世紀にやられたことを紀元後一七世紀に繰り返している。
例えば以下のように「四大陸」という寓話画を説明してくれていますが、これが女神がいるというだけでなく、世界を描いており、「世界全体の宥和」さらには「宗教改革に対するカトリック側の反攻」が込められているなんて想像できないですよね。
この絵の四人の裸婦は、ヨーロッパとアフリカとアジアとアメリカの四つの大陸を―「大陸」(総じて「地名」)は女性名詞だから女で表される―、そしてそれぞれの女の傍らにいる男は、ドナウ川とナイル川とガンジズ川とラプラタ川を表している(「川」は男性名詞)。ナイル川は頭に小麦を、ラプラタ川は頭に唐辛子をつけている。虎といいワニといい、すべて「目印」の役割をはたしている。そして画面全体から、世界全体の宥和とみるか、むしろ世界全体を支配する意欲とみるか、いずれにせよ寓意をみてとることになろう。宗教改革に対するカトリック側の反攻である。
今回の展覧会の目玉の一つ「ロームルスとレムス」について、このテキストで簡単にですが登場していました。
ルーベンスには「ロームルスとレムス」という作品もある(図43)。双子が狼の乳を飲んでいる、それを羊飼いが発見するという場面である。ロームルスの建国神話はローマ神話であってギリシャ神話でない、というのは屁理屈になるだろう。この絵は、神話を題材にした絵にいれてよいだろう。
天秤が公正、オリーブやハトが平和を象徴するなどくらいは日本人でもわかりますが、他にもいろいろな象徴があるようです。個人的に興味深いと思った視点は、このテキストの最後にあった以下の部分です。
神話と寓意との間の境界線がひきにくいように、神話と歴史との間にも境界線はひきにくい。絵画の上でこれらが交じり合うということは、実は概念の上でこれらが交じり合うことの反映である。
私はオウィディウスが、個々のギリシャ神話に新たなヴァージョンを加えることでギリシャ神話を発展させたように、ティツィアーノやルーベンスやベルニーニがやったことも、ギリシャ神話に新たなヴァージョンを加えること、つまりギリシャ神話を発展させる営みであった、と考える。アンドロメダやダフネ―は、彼らのおかげで永遠の姿をえた。しかし対象は既存の神話に限らない。これまでギリシャ神話でなかったものが、あたかもギリシャ神話であるかのように描かれる。神話の題材そのものが、つねに膨張するのである。
ルネサンスやバロックの画家たちは、単にギリシャ神話を再現したのではなく、ギリシャ神話を自分なりに発展させて、ギリシャ神話を人類の共通の財産にしていったのですね。ルクレティウスの書『物の本質について』がルネサンスで再発見されて大きな影響を与えていったという本がありましたが、ティツィアーノやルーベンスの試みもそのような流れと近いのかもしれません。
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