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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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「呪縛」を英語では

 
「呪縛」なんて言葉は日常的に使いませんが、英語を言われるとなんだという感じがしますね。

(ウィズダム)
じゅばく 【呪縛】
▸ 呪縛をかける
spellbind / cast [put] a spell〘on him〙.
▸ 呪縛を解く
break the spell.
▸ 呪縛にかかっている
be under a spell.

まさにスペルと同じつづりですね。

公式 T4 (L&R 1 T2) Part3 
Could you spell your last name for me so that I can look up your account?
お客様のアカウントを調べられるように、名字のつづりを言っていただけますか。

ここからは最近読んだ本『プラトンの呪縛』の自分メモになります。このタイトルはカール・ポパーの『開かれた社会とその論敵』の第一部「プラトンの呪縛」から取ったもので、ポパーの英語版ではThe Spell of Platoとなっていました。

佐々木 毅

商品説明
   私たちは、過去の哲学をいつも正確に解釈しているわけではない。自分に都合のいい哲学を引っぱり出し、その解釈に何らかの恣意を働かせるのが常だ。かつて歴史の1ページに収められていた哲学が2000年の時を超えて突如よみがえったとき、そこにはどれほどの恣意が渦巻き、人間はどんな思想的危機に瀕していたのだろうか。『プラトンの呪縛』は、イデア説に代表される超越的秩序や新しい世界の「原理」による国家論を説いたプラトンが、「戦争と革命の20世紀」にいかに巻き込まれ、どんな解釈や批判、反批判が加えられていったかをたどることで、20世紀における哲学と政治思想の交錯のドラマに光を当てたものである。わかりやすく一言でまとめると、プラトンを軸にして20世紀という時代を振り返ろうとする試みであるといえよう。

   構成は全3部。第1部は、ドイツにおけるプラトンの「政治化」の経緯、そしてプラトンがファシストとして解釈されていく思想的背景が描かれている。特に、反自由主義・民主主義のシンボルとしてナチズムに利用されるプラトン像が浮き彫りにされる。こうして全体主義へと振れるプラトン解釈に対しては、やはりその反動が起こる。第2部では、英米からその役割を担ったファイト、クロスマン、ポパーの代表的なプラトン批判論が取り上げられ、検証される。西欧には、プラトンを西欧思想の定立者であり精神的権威とする伝統が存在するが、それが容赦なしにおとしめられていく20世紀前半の険しい空気が読み取れるだろう。第3部では、世紀後半の思想界がこの論争を、そしてプラトンをどう位置づけたのかを、多元主義の観点などから論じている。

   最後に、著者はプラトンを「警告者」として現在によみがえらせようとする。そこでは、自由民主主義のなかで権利のみを求め、そこに甘んじて堕していく、私たちの危機的状況が見事にえぐり出されている。プラトンの「呪縛」が続いているかのように。(棚上 勉)

内容紹介
第9回読売論壇賞・第11回和辻哲郎文化賞受賞作

時空を超えて甦るプラトンの警告
極端な自由は極端な隷従に振れる

第1次世界大戦後に訪れた民主主義の危機のなかで「精神の国の王」として甦り、さらにはナチズムにも利用された西欧思想の定立者・プラトン。彼は理想国家の提唱者なのか、全体主義の擁護者なのか。プラトンをめぐる激しい論戦を通して20世紀の哲学と政治思想の潮流を検証し、現代に警鐘を鳴らす注目作。

議論の進め方は専門的なので次のPDFを読んで内容がすっと入ってくる方なら本を購入して読んでみるといいかもしれません。ポパーが目の仇にしたプラトンはナチスやスターリンが見出したプラトンだったようです。

20世紀政治の中のプラトンと 『ポリティア』
佐々木 毅

本日の私の講演の目的は、20 世紀政治によるプラトンの政治的動員・利用とそれに対する反論を政治思想史の立場から要約的に紹介し分析することにある。
1960年代、プラトン論として有名であったのが、カール・ポパーの『開かれた社会とその論敵』の第一部(「プラトンの呪縛」)であった。 この作品は 20 世紀前半の大戦争と革命を経て新たに登場した全体主義体制(ファシズム・共 産主義体制)という史上全く新しい体制に対する批判と「われわれの文明」の擁護を目的とし ていた。彼によれば、全体主義という 20世紀の恐るべき政治体制の源泉は西欧思想の外部にあったのではなく、それ自身の中にあった。ここでプラトンは全体主義に連なる政治潮流の重要な源泉として、ヘーゲルやマルクスと並んで名指しされることになる。

素人はどうしてもプラトンが語った内容は不変のような気がしますが、どうやら第一次世界大戦を契機にプラトンの受容の仕方に変化が起きたようです。世界大戦というのはこれまでの認識を覆してしまうようなインパクトがあったんですね。

1.「政治人プラトン」の発見とその帰結~ニーチェからファシズムまで~

19 世紀末までのプラトン、特に、『ポリティア』についての理解は基本的に現実政治的な含意を持つものとは考えられていなかった。そこに「知性の貴族政」を見出すことはあっても、 その議論はユートピア的、空想的な議論の代名詞として取り扱われる傾向が強かった。また、プラトンは政治との関わりにおいて論じられるよりも、キリスト教や哲学的体系との関係で専ら関心の対象となった。

******

プラトンが20世紀政治の中に持ち込まれる大きな転機になったのが第一次世界大戦であった。西欧世界内のこの大戦を通して、「西欧対ドイツ」という構図がドイツの知的世界に浸透し、リンガーによればドイツの古典教育 を受け大学で学んだ教養市民層はこうした中 で「近代派」と「正統派」とに分裂していく。「近代派」が近代社会の持つ意味を積極的に評価し つつ、その改革を主張したのに対して「、正統派」 は民主主義(平等主義)や社会民主党の脅威を 強調し、利益政治や議会政治を嫌悪し、ナショ ナリズムと軍国主義に好意的であったとされる。

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ナチス体制の下ではプラトンを民族の救済者として理解し、『ポリティア』の中に人種論の根拠を求めることが一般化するようになる(プラトンとヒトラーの出会い)。特に、プラトンの『ポリティア』における守護者層の教育論は「精神と性格、血と人種の貴族制」を示唆す るものとしてしばしば言及されるようになった。更に、ハンス・フリードリヒ・カール・ギュンターに代表される人種論者たちは好んで自 らの立場を補強するためにプラトンに言及した。このようにしてゲオルゲ派に見られたロマ ン主義的な共同体論は冷酷な人種支配関係論 によって置換されることになった。それと共に、 反平等主義もまた人種論によって色濃く支配されることになる。プラトンをめぐる激しい論戦の源にはこうしたドイツのプラトン理解があったのである。

この本は全体主義が読み取ったプラトンとそれを批判する流れを紹介するものですが、今の我々が学ぶべきなのは「警告者としてのプラトン」だとして佐々木先生は占めています。その辺りは書評問屋というブログがよくまとまっています。

2016年02月04日|ブックレビュー

4. 今、なぜプラトンなのか。

 佐々木毅はこうしたプラトンを巡る民主制・社会に対する議論を踏まえ、「警告者としてのプラトン」の重要性を説く。第一は、社会システムの意識的統合機能を弱体化するままに放置してよいのかどうか、という問いかけである。すでにマーケットの国際化によって民主制が空洞化と言い得る中で、「エリート支配やテクノクラシーについての新たな議論──「不平等な承認」をめぐる──を惹起することは間違いがない」という。第二は、この「平等な承認」の社会が何を基準とする社会であるのか、それは果たして人間の尊厳と徳にふさわしいものであるのか、ということを問いかける点である。「何が承認にふさわしいものか」「何のために」。「「平等な承認」という発想が人間の自己目的化──肉体の維持・存続が最大の価値であるという発想に見られるように──個々の人間に先だって「人間そのもの」「人間らしさ」を問うことは現実の人間を変えるという構想に結びついていたが、この関係が現代においてどうなっており、しかも将来にわたって何も考えなくてもよいのかとプラトンは強く疑問を発し、一定の回答を要求することであろう。自己利益の肥大化とそのさらなる肥大化を自己目的にする社会システムが何をもたらすかについて、そう予定調和的な話ができなくなっている現状は、改めて「何のために」いう問いが避けられなくなっていることを示唆している。そして、ここに新たな哲学と政治との接点が出てくる可能性がある」という。

この本が出たのは1990年代後半ですが、この指摘の重要性は変わっていないですよね。フランシス・フクヤマが最近の著作で語ったことににも近いと思いました。アメリカの中間選挙で民主党が躍進して、女性やマイノリティーが当選しましたが、これは細分化されたままであって、国としてのまとまりを見出せたとは思えません。


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