Posted at 2020.02.17 Category : 未分類
語る主体が変われば歴史の内容が変わるのは、何もminorityだけに当てはまるものではないです。フランス人にとっての第一次世界大戦の激戦地はソンムではなくベルダンでした。ベルダンについては過去取り上げています。
過去記事でも書いていますが、ソンムやパッシェンデールの戦いではオックスフォードやロングマンの学習辞典でも丁寧に説明していたのに、ベルダンは見出し語になっていません。ソンムを訪れた時もイギリスから着たであろう観光バスが多かったです。
1917を見た後あれこれネットで調べている時に大変ためになるサイトを見つけました。
このサイトで第一次世界大戦の主要戦闘別の戦死傷者数比率を出してくれています。
これを見ると犠牲者が桁違いですのでなぜイギリス人にとってソンムやパッシェンデール(表では第3次イーペル)が重要なのか、フランスにとってベルダンが重要なのかわかります。
これらの激戦地の犠牲者数って第二次大戦でも独ソ戦のスターリングラードやベルリンには及びませんが、それでも第二次大戦の激戦地のトップ10の上位に入る犠牲者数です。今でも特別な意味を持つのがこの数からでもわかります。
ソンムへはアラスという町から行ったのですが、その折に戦争の慰霊碑みたいなものがありました。そこではアルジェリア戦争に参戦した肉親に向けたものもたくさんありました。メンデスの祖父の話ではないですけど、近親者が戦った戦争は格別な意味を持つことでしょう。アルジェリア戦争でのフランスは今日本にいるYutaにとってはアルジェリアの独立を阻止する、拷問を厭わないフランスという悪役でしかないですが、このような地方の町から参戦していたんですね。だからと言って、あの戦いに対するYutaのフランスへの評価が変わるわけではないですが、なかなか複雑な気持ちになりました。
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