Posted at 2020.03.29 Category : 未分類
2019年7月24日(水)
NHKのドキュメンタリーをご覧になった方もいるかと思いますが、自分はようやく以下の本を読むことができました。
私たちの祖先は、なぜ日本を目指したのか?――命がけの航海から見えてきた「新しい人類史」!
「最初の日本列島人は、当時陸続きだった大陸から歩いてやってきた」――これは今や間違ったイメージだ。我々の祖先は、何らかの手段で海を越え、日本列島へたどり着いた。
しかし、その事実には不可解な点がある。
水平線の先にある見えない島の存在を、彼らは知っていたのか。
世界最大級の海流、黒潮を、どうやって越えたのか。
そして、それほどの難関に立ち向かってまで、なぜ海の向こうを目指したのか。
――謎に挑むため、私たち現代人がおこなった命がけの実験航海実験。そこから見えてきた日本人誕生の物語と、「祖先たちの本当の姿」とは。
3万年前の当時にあったであろうものしか使わずに台湾から与那国島に海を渡っていく挑戦は、素朴なロマンチズムではなく、様々な知識や技術の集大成があって初めて成功できるということを実感できる素晴らしい実験だったと思います。
使う船なんかも草、竹、丸太という材料によって特性が違いがあり、黒潮のような流れが強い海流には適さない船があるのも、実際に試したからこそ分かるということに納得しました。
海岸からは与那国島は見れないのですが、山に行って気象条件が合うと見ることができていました。この航海をアポロ11号に匹敵する大事業だったとあとがきで触れていましたが、何故そこまでして移住したのかが気になります。与那国島の話から逸れますが、静岡県の遺跡から神津島産の黒曜石の石器が出土した話が本でも触れられていました。やはりそのような資源獲得のための航海だったのでしょうか。
毎日新聞の動画でも触れられていますが、こういう試みですぐに思い浮かぶのがコンティキ号です。この探検では帆を使っていますが、3万年前はまだ帆を使われていないということで全て人力で漕いで与那国島まで行っていました。
Youtubeの時代はコンティキ号の冒険ドキュメンタリーを見ることができるのですね。
今回の探検では草で作った船は黒潮を渡るのが不向きだったのですが、ヘイルダールは別の探検で葦で作った船で大西洋を渡っていたのですね。2回目の挑戦では小原啓という日本人が参加してい『葦舟の冒険野郎 ラー2世号航海記』という本も書かれているんですね。読んでみたくなりました。
ノルウェーにはKon-Tiki Museumがあるそうですが、コロナウィルスの関係で閉鎖中のようです。
The Kon-Tiki Museum is still closed, in accordance with advice from the government. Visit us digitally: see social media below!
せっかく冒険気分を味わっていたのに、現実に引き戻されてしまいました。。。
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