Posted at 2013.06.08 Category : 展覧会関連
上野の東京芸術大学の大学美術館で『夏目漱石の美術世界』という展示会が開かれています。先週終了したラファエロ展は点数が少なかったので肩すかしの面もあったのですが、漱石の展示会は逆に期待以上のものでした。
今回初めて芸大に併設している美術館にいったのですが、なかなか立派なものでした。展示室も大きくなく、点数も少ないこじんまりした展示会を想像していたので、普通の美術館のようなしっかりした建物だったので驚いてしまいました。展覧会は、漱石の本の装丁、漱石の作品に登場している英国を中心とした世紀末芸術と日本の芸術作品と同時に、漱石と同時代の日本の芸術作品も見ることができました。
近代日本を代表する文豪、また国民作家として知られる夏目漱石(1867-1916)。この度の展覧会は、その漱石の美術世界に焦点をあてるものです。漱石が日本美術やイギリス美術に造詣が深く、作品のなかにもしばしば言及されていることは多くの研究者が指摘するところですが、実際に関連する美術作品を展示して漱石がもっていたイメージを視覚的に読み解いていく機会はほとんどありませんでした。
この展覧会では、漱石の文学作品や美術批評に登場する画家、作品を可能なかぎり集めてみることを試みます。私たちは、伊藤若冲、渡辺崋山、ターナー、ミレイ、青木繁、黒田清輝、横山大観といった古今東西の画家たちの作品を、漱石の眼を通して見直してみることになるでしょう。
また、漱石の美術世界は自身が好んで描いた南画山水にも表れています。漢詩の優れた素養を背景に描かれた文字通りの文人画に、彼の理想の境地を探ります。
本展ではさらに、漱石の美術世界をその周辺へと広げ、親交のあった浅井忠、橋口五葉らの作品を紹介するとともに、彼らがかかわった漱石作品の装幀や挿絵なども紹介します。当時流行したアール·ヌーヴォーが取り入れられたブックデザインは、デザイン史のうえでも見過ごせません。
漱石ファン待望の夢の展覧会が、今、現実のものとなります。
影響を与えた芸術作品と漱石の著作の抜粋が並べて展示してあるので、アールヌーボやラファエル前派などが漱石に影響を与えたことはこの展覧会を見ることで実感できます。漱石の著作の影響とは別に漱石と同時代の日本絵画も展示してあって、1900−10年あたりは印象主義やポスト印象主義の影響が日本にも強くあったことがわかりました。
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そこでふと思ったのは、漱石はなぜ印象主義やポスト印象主義は作品に取り入れなかったのかという疑問です。この展覧会と同じように世紀末芸術と漱石の関係を考察した著名な『世紀末と漱石』という著作によれば、印象主義も少し取り上げていて漱石はその芸術動向は理解していたようです。
まあ、印象主義やポスト印象主義は、当時の現代芸術といえども、目に見えるものを扱う印象主義よりは、目に見えないものを扱う象徴主義のようなものを好んでいた漱石の趣味にはあわなかったから作品にはそれほど登場しなかったのでしょうかね。もちろん、フロベールが『ボヴァリー夫人』のような写実主義だけでなく、『サランボー』『聖アントワーヌの』などの幻想的な作品を描いた二面性は漱石にもあるようですが。。。
英国留学で生の芸術作品に触れただけでなく、帰国後もStudioという美術・工芸雑誌を定期購読して熱心に読んでいたようです。
Studio (1893-1988)
Published in London and devoted to the fine and applied arts, Studio magazine was founded in 1893 by Charles Holme, an artistically well-connected businessman who lived in William Morris's Red House. With an international readership it did much to promote British design abroad, particularly in the late 19th and early 20th centuries when many illustrated articles on the graphic artist Aubrey Beardsley, architect-designers Charles Rennie Mackintosh, Charles Annesley Voysey, and others appeared. Similarly, it did much to introduce its British readers to Art Nouveau and a wide range of other European developments surveyed in articles and notices. Its first editor was C. Lewis Hind, although he was soon replaced by the influential and effective Gleeson White. So successful was the magazine in its early years that an American version, entitled International Studio, was launched in 1897, a series of Special Issues produced from 1898 until 1939, and, from 1907 until the 1980s (with some adjustments of title), The Studio Yearbooks of Decorative Art provided useful surveys of international design and interiors. The First World War seriously affected the magazine's readership and, under the editorship of Geoffrey Holme (son of the founder), a generally conservative line was pursued in the interwar years. In the 1960s the magazine was retitled Studio International and devoted itself to modern art.
絶対あり得ないことですが、もし漱石が英国でなく、パリに留学していたとしたら、作品で取り上げた美術作品も変わったのかもしれないなとそんなことも思ってしまいました。
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