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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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「わかりあえなさ」をわかりあおう

 


年末、六本木にある美術館21_21 DESIGN SIGHTでの企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に行ってきました。英語の習得において翻訳は英語を英語で理解することを妨げになるという立場の人もいますが、そもそも異なる言語である英語に向き合う時点で翻訳的姿勢が既に求められているのではないでしょうか。

「翻訳」を介したコミュニケーションは、文字による言語だけではなく、視覚、聴覚といった感覚や身体表現などを用いて、送り手と受け手をつなぐ「架け橋」の役割を担っています。そして、その過程で生まれる解釈や変換、表現は、デザインやアートにも共通します。本展では、ドミニク・チェンの「翻訳はコミュニケーションのデザインである」という考えに基づき、「翻訳」を「互いに異なる背景をもつ『わかりあえない』もの同士が意思疎通を図るためのプロセス」と捉え、その可能性を多角的に拓いていきます。

ここでは、AIによる自動翻訳を用いた体験型の展示や、複数の言語を母国語とするクレオール話者による映像、また、手話やジェスチャーといった豊かな身体表現、さらには人と動物そして微生物とのコミュニケーションに至るまで、さまざまな「翻訳」のあり方を提示する作品を紹介します。本展が、「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する喜びを感じていただける機会となれば幸いです。

However, communication using "translation" is not restricted to languages. There are translations where visual or auditory sensations, or bodily expressions, play the role of bridge to transmit and receive communication. The diverse interpretations, conversions and expressions that are generated by all these processes can be said to have much in common with art and design. This exhibition is based on Dominique Chen's idea that "translation is designing communication." We define translation as "the trial processes linking mutually non-comprehending parties from different backgrounds" and use this to explore the possibilities of translation from multiple perspectives.

The venue includes experiential exhibits employing AI-based automatic translation and video work by creole speakers with multiple native languages. There are also instances finding translations by through the body expression, such as sign languages or gestures and communication between humans and other species, even with microorganisms. All the works enquire into the possibility of translation. We hope that through the notion of translation, this exhibition encourages visitors to realize the joy of finding emotions and cultures in "others," and of discovering a world beyond.

展覧会レポートは以下が詳しく参考になりますので、関心がある方はリンク先をお読みになってみてください。

TD編集部 藤生 新
2021年3月まで21_21 DESIGN SIGHT(東京・港区)で開催中の「トランスレーションズ展-『わかりあえなさ』をわかりあおう」。本展の狙いは、「翻訳」を「コミュニケーションのデザイン」とみなし、手法の多様性や、「解釈」や「誤解」の面白さに目を向けさせようとするもの。本記事では、TD編集部・藤生が「デザインとして翻訳を捉える」という視点から本展の内容をレポートする。

「横のものを縦にする」ような翻訳っぽいことをしているだけの展示ではと危惧していましたが「スポーツを観戦/感戦/汗戦する」という展示はダントツに面白かったです。さっと見るだけだと真似事をしてふざけているだけのように思えますが、そのスポーツにおいて何が競われているのかという本質を汲み出そうとする取り組みでした。先ほどのリポートからの引用です。




このように、本展において身体を介した「翻訳」は大きな可能性を感じさせてくれた。伊藤亜紗氏(東京工業大学)+林阿希子氏(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司氏(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)の3者による「スポーツを観戦/感戦/汗戦する」というテーマの「翻訳」も面白い。

『感戦』と題された映像作品では、「耳の聞こえない人」を主眼にしたOntennaとは異なり、「目の見えない人」とのスポーツ観戦をテーマにしている。通常、目の見えない人は言葉による実況でスポーツを観戦することが多い。しかし、どうしてもタイミングが遅れてしまったり、周囲の人との一体感が得づらかったりするという欠点があった。そこで、この問題を解消すべく、『感戦』では身体を用いた伝達方法がとり入れられた。ヒントになったのは、視覚障がい者向けの長距離走だ。目の見えない人が走るとき、伴走者とロープを共有することで、長い距離でも迷わずに走り切ることができる。そのとき、ロープは走る方向を示すだけでなく、「あと少しがんばろう」「ちょっと気をつけて」などといった繊細なメッセージを伝達する装置にもなるという。

このアイデアを応用し、『感戦』では「手ぬぐい」を用いた柔道観戦が試みられた。まず、2人の晴眼者が布の両端を持ち、目の見えない人がその中央を握る。晴眼者は各自が「翻訳」を担当する選手の動きに合わせて、布を引っ張ったり、上下させたり、ねじったりする。それによって、目の見えない人は身体ごと引っ張られることになり、柔道における力のせめぎあいや駆け引きを文字通り「体感」するのだ。

ほかにも『汗戦』という作品では、『感戦』の試みを野球とフェンシングにまで広げ、選手目線で見えている主観的な感覚を翻訳することが試みられた。たとえばフェンシングでは、アルファベットの形をした2つの木片を知恵の輪のように組み合わせ、一人がそれを外そうとし、もう一人が外されまいとする。この「相手の動きに付いていきながらいなす感じ」が、フェンシング選手が試合中に覚える感覚に近いということだ(アドバイザーは、ロンドン五輪にも出場したフェンシング選手・千田健太氏)。

この展覧会で紹介されていたスポーツはほんのわずかでしたたが、元々はこの取り組みを色々なスポーツで試みた企画があって、その成果は『見えないスポーツ図鑑』という本になっていました。サイトでも成果が共有されています。


千田: やっぱりこれは、すごくいいですね。最初に見るのでも、触るのでも、アルファベットの形を認識しておくのが大事だと思います。自分のパターン、狙いがイメージできている状態にしておく。
渡邊: 外させまいとする時は、常に引っ掛かりのテンション(緊張)をつくっておく感じですね。それで、相手が逃げそうだなという瞬間に追いかける。
伊藤: 力も入れちゃいけない感じがありますね。
渡邊: そうですね、力を入れていたらすぐ抜けられてしまう。指先で相手を感じる。
千田: フェンシングでは剣身のいろんな面で防御したり、相手の剣を捉えて攻撃したりするわけですが、そうした剣と剣が接している感触、360度にわたって指で操作する感覚が、すごくフェンシングに似ています。
あと、フェンシングの剣はレギュレーションの範囲内でいろいろとカスタマイズできるんです。得意なパターンがそれぞれにあるという意味でも、アルファベットをいろいろ選べるようにしたら、より面白いかもしれませんね。

グループの一人、伊藤亜紗さんは『記憶する体』で第42回サントリー学芸賞を受賞されていましたね。読もう読もうと思っていた本だったので、展覧会をみた後にこちらの本にも目を通してみました。こちらの本はweb連載から発展したもののようで、いくつかの章を今でも読むことができます。web連載では最終回のようですが、本の前書きにあたる部分が以下。「固有名を大事にしよう」とブログで書いたこともあり個人的にピンと来たところです。

2018.11.21

たとえば口の中に口内炎ができたとき、私たちは「口の中でどういうふうに食べ物を運べば痛みが少ないか」の法則を探します。最初は反対側で噛んでみたり、あまり噛まずに飲み込んでみたり、意識的な試行錯誤が続くでしょう。やがてだんだんコツがつかめてきます。

 そうすると、次第に意識せずとも「痛まない食べ方」ができるようになります。場合によっては、口内炎が治ったあとも、その食べ方で食べるようになっているかもしれません。こうなると、本来の目的から離れても続けられる、一般には「癖」と言われるような法則です。

  意識的なものにせよ、無意識的なものにせよ、私たちが経験の中で獲得するこうしたルールは、究極のローカル・ルールのようなものです。

 体には、「掛け声をかけるとタイミングが合いやすい」のような、ある程度普遍的に妥当する合理的な法則もあります。でもその一方で、その人にしか通用しない、他の人から見ると不合理なローカル・ルールもある。

 企業や役所のような社会的な団体のローカル・ルールは、その組織の体質を強く反映します。同じように、体のローカル・ルールが、まさにその人の体のローカリティ=固有性を作り出します。

伊藤さんは学者ですが、普遍化しにくいこのような個性を見落とすことなく丁寧に取り扱っており『記憶する体』が評判だったのも納得でした。
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