Posted at 2021.01.03 Category : 未分類
先ほどの展覧会のディレクター、ドミニク・チェンさんが書いた本『未来をつくる言葉: わかりあえなさをつなぐために』も読んでみました。具体的な実践面においては伊藤亜紗さんが圧倒的にユニークですが、第1章でYutaも大好きな引用を引いていたことも関係があるのか、彼の問題意識は共感できるものが多かったです。
未知なる「領土」と向き合う
全く知らないことや、よく知らないことについて書く以外に、果たして書きようがあるのだろうか? (……)わたしたちは自らの知識の先端、つまり既知と無知を隔て、片方からもう片方へと移行させるこの極限点においてしか書くことができない。このような方法によってのみ、わたしたちは書くことを決意できるのだ。
[ "Différence et répétitionj , Gilles Deleuze, Presses universitiaires de France 1968, P4, ]
このフレーズは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズがその代表作の導入部分に書いたものだ。ここには後に、彼が長年の盟友である精神分析家フェリックス·ガタリと共に作り上げた「脱領土化」[déterritorialisation]という哲学的コンセプトの本質が凝縮されている。
未知の領域へ向けて足を踏み出す動き以外に、新しい知識は獲得できないし、自らの立つ領土の輪郭を認識することもできない、ということだ。そして、わたしたちは領土を脱した後に、別の場所を再·領土化する。この運動を繰り返すうちに、無数の世界のあいだを行き来する。
この言葉かっこいいですよね。以前のブログで紹介していた英訳バージョンが以下です。
How else can one write but of those things which one doesn’t know, or knows badly? It is precisely there that we imagine having something to say. We write only at the frontiers of our knowledge, at the border which separates our knowledge from our ignorance and transforms the one into the other. Only in this manner are we resolved to write. To satisfy ignorance is to put off writing until tomorrow – or rather, to make it impossible.
Gilles Deleuze
(分からないこと、よく分かっていないことについて書くのでなければどのように書くことができるのだろうか。まさにそこにこそ言うべきことがあるはずなのだ。我々は知識の限界においてこそ書くのだから。そこは知と無知とを分かつ境界で、知と無知とがせめぎ合っている場なのである。このようなやり方でしか、人は覚悟を持って書くことはない。無知で埋めてしまえば、書くことを明日に先伸ばすことになる。いやむろ、書くことを不可能にしてしまうのだ)
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