Posted at 2021.06.22 Category : 未分類
It's time to buildというエッセイでregulatory capture(規制の虜)という言葉が出ていました。
The problem is regulatory capture. We need to want new companies to build these things, even if incumbents don’t like it, even if only to force the incumbents to build these things.
問題は「規制の虜」です。新たな企業にこれらのものを構築してもらいたいと望む必要があります。たとえ現行勢力が望まないとしても、たとえ現行勢力に構築させるように仕向けても。
The right starts out in a more natural, albeit compromised, place. The right is generally pro production, but is too often corrupted by forces that hold back market-based competition and the building of things. The right must fight hard against crony capitalism, regulatory capture, ossified oligopolies, risk-inducing offshoring, and investor-friendly buybacks in lieu of customer-friendly (and, over a longer period of time, even more investor-friendly) innovation.
右派は難がありますがより普通に始められます。右派は一般的に生産支持ですが、往々にして腐敗しています。市場ベースの競争やものごとを築き上げることを抑制しようとする勢力がいるのです。右派が戦わなければいけないのは、縁故資本主義、規制の虜、硬直化した寡占、リスクを秘めた海外移転、投資家に利益をもたらす買い戻しです。顧客のためを思った投資(長い時間で見れば、投資家にも大きな利益をもたらします)が必要なのです。
経済学の言葉みたいで、載せている辞書は皆無です。
By WILL KENTON Reviewed by MICHAEL J BOYLE Updated Mar 1, 2021
What Is Regulatory Capture?
Regulatory capture is an economic theory that says regulatory agencies may come to be dominated by the industries or interests they are charged with regulating. The result is that an agency, charged with acting in the public interest, instead acts in ways that benefit incumbent firms in the industry it is supposed to be regulating.
規制の虜とは何か
規制の虜は経済理論で規制当局が規制すべき業界や団体に支配されるようになってしまうこと。結果として当局は公共の利益のために動くべきものだが、本来は規制すべき対象の業界の既存企業に恩恵がゆくように動くこと。
KEY TAKEAWAYS
Regulatory capture is an economic theory that regulatory agencies may come to be dominated by the interests they regulate and not by the public interest.
The result is that the agency instead acts in ways that benefit the interests it is supposed to be regulating.
Industries devote large budgets to influencing regulators, while individual citizens spend only limited resources to advocate for their own rights.
業界は多額の予算を使って規制当局を取り込もうとするが、個々の市民はわずかな資金でしか自身の権利を主張できない
日本ではメディア向けに「規制の虜」という言葉を使っている人はあまりいないためか、原発問題を規制の虜とした黒川清という方がネットではすぐに登場します。
2021/03/08 18:16
寄稿 調査研究
POINT
■東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から10年がたつ。国会事故調査委員会は「事故は明らかに人災」とする報告書を提出したが、7項目の提言はほとんど顧みられず、背景にある「規制の虜」の問題も残ったままだ。
■原発に対する「安全神話」の本質は、当事者の「安全願望」ともいえるようなものだった。地震大国の日本には原発の安全性を検証する責務があるのに、政、官界や関係機関はそこから逃げている。メディアの事故の検証も不十分だ。
■原発事故は、過去の成功体験にすがり、変革を怠ってきた日本人への警告でもあった。日本は「タテ社会」の社会構造から変えていかなければ、事故の教訓をくみ取ったとはいえない。
政策研究大学院大学名誉教授 黒川 清
このような言葉を使わなくても政官財の癒着のような問題を指している感じです。
「規制の虜」とは何か
「規制の虜」とは、コロンビア大学教授などを務めたアメリカの経済学者、ジョージ・スティグラーが唱えた経済学説で、国(規制当局)が国民の利益を守るために行う規制が、逆に企業など規制される側のものに転換されてしまう現象をいう(注1)。
わが国の原発の世界では、電力会社を規制するはずの政府が、電力会社に規制されていた。規制する側の政府より、規制される側の電力会社の方が専門知識があり、様々なノウハウを持っていた。しかも、電力会社と政府は地域の発・送電を独占し、発・送電の分離や、グリッド(格子状の広がり)で地域を超えた送電網を広げるなどして、地域ごとにベストな再生可能電源にシフトできることを認識していた。しかし、これをやらなかった。
地域独占性が高い電力会社の社員の多くは、選挙になると応援に駆り出され、電力会社が政、官界のために天下りポストを用意することも常態化していた。こうしたことから、政、官界は事実上、電力会社に規制される側になっていた。
メディアは住民の立場に立って、安全性を監視する姿勢で調査報道するのが役割だが、当局と電力会社側の説明を垂れ流しするだけで、自ら調べ、監視していく姿勢に乏しかった。「規制の虜」とは、こうした社会構造を許してきた状況全体を指す表現だ。
国家の怠慢という新書でも「規制の虜」という言葉が使われました。こちらの方が生々しい役所と民間企業とのズブズブの関係が色々とわかります。
コロナ禍でも医療業界での「規制の虜」はどのようなものだったか、明らかにしないと同じ過ちを次の感染症でもしてしまいそうです。そのようなことができるかは今の対応を見ていると悲観的にならざるをえませんが。。。
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