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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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クラウス

 


ちょっと前に英国のガーディアンに米国作家のジョナサン・フランゼンが5000語を超えるエッセイを寄稿したことが話題になりました。かの新作のプロモーションを兼ねてのものだと知りました(汗)興味を持たないとアンテナにひっかからないんですよ。。。


The Kraus ProjectThe Kraus Project
(2013/10/01)
Jonathan Franzen

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明日発売されるKraus Projectという新刊は、世紀末ウィーンで活躍した作家カールクラウスを正面から取り上げたもののようです。改めて彼のエッセイを読み直してみると、世紀末のオーストリアハンガリー帝国と現在のアメリカを重ね合わせているようですね。

Jonathan Franzen: what's wrong with the modern world
While we are busy tweeting, texting and spending, the world is drifting towards disaster, believes Jonathan Franzen, whose despair at our insatiable technoconsumerism echoes the apocalyptic essays of the satirist Karl Kraus – 'the Great Hater'
News: Amazon model favours yakkers and braggers, says Jonathan Franzen
Jonathan Franzen
The Guardian, Friday 13 September 2013 14.35 BST

Vienna in 1910 was, thus, a special case. And yet you could argue that America in 2013 is a similarly special case: another weakened empire telling itself stories of its exceptionalism while it drifts towards apocalypse of some sort, fiscal or epidemiological, climatic-environmental or thermonuclear. Our far left may hate religion and think we coddle Israel, our far right may hate illegal immigrants and think we coddle black people, and nobody may know how the economy is supposed to work now that markets have gone global, but the actual substance of our daily lives is total distraction. We can't face the real problems; we spent a trillion dollars not really solving a problem in Iraq that wasn't really a problem; we can't even agree on how to keep healthcare costs from devouring the GNP. What we can all agree to do instead is to deliver ourselves to the cool new media and technologies, to Steve Jobs and Mark Zuckerberg and Jeff Bezos, and to let them profit at our expense. Our situation looks quite a bit like Vienna's in 1910, except that newspaper technology has been replaced by digital technology and Viennese charm by American coolness.




まあ正直、このエッセイで書かれている内容はありがちな図式で、fine with Twitterと語っているSalman RushdieにYutaの立場は近いです。ユーガットメールでは、大型チェーン店vs地元本屋でしたが、フランゼンによればアマゾン・SNSvs地元本屋なのでしょう。

It's not clear that Kraus's shrill, ex cathedra denunciations were the most effective way to change hearts and minds. But I confess to feeling some version of his disappointment when a novelist who I believe ought to have known better, Salman Rushdie, succumbs to Twitter. Or when a politically committed print magazine that I respect, N+1, denigrates print magazines as terminally "male," celebrates the internet as "female," and somehow neglects to consider the internet's accelerating pauperisation of freelance writers. Or when good lefty professors who once resisted alienation – who criticised capitalism for its restless assault on every tradition and every community that gets in its way – start calling the corporatised internet "revolutionary."


Rushdie.jpg

フランゼンのテクノロジー批判にはまったく興味がないのですが、カールクラウスには興味があるので、この本は読んでみたいと思っています。カールクラウスについては日本語でも英語でもあまり翻訳されていないですから、結構貴重な機会になるでしょう。ちょうど来年は第一次世界大戦の100周年にあたりますし。。。

昨年、岩波書店の『思想』という雑誌でカールクラウス特集があったようです。池内紀さんのエッセイがサイトから読めます。このエッセイでようやく著作集が5巻から始まっているわけを知りました(苦笑)

クラウス事始め
(前略)
 おもえば恥ずかしいことばかりである。足かけ三年してウィーンからもどり、日本語版『カール・クラウス著作集』全一〇巻(法政大学出版局)の刊行にこぎつけ、『人類最期の日々』(全二冊・一九七一年)、『アフォリズム』(一九七八年)の三冊は実現したが、そこでトン挫。著作集は他の訳者たちによる『言葉』(一九九三年)、『第三のワルプルギスの夜』(一九七六年)の計五巻でとまったきり、永の眠りについている。

 なんとも厄介な相手なのだ。批評家に先立って「諷刺家」のレッテルがつく。寸鉄人を刺すアフォリズムを得意とする一方で、長大なドラマや端正な詩を書いた。何であれ、いたるところに諷刺のトゲがひそんでいる。第一次世界大戦を扱ったドラマは、主だった登場人物だけで数十人。傍役を数えていくと数百人にのぼり、作者自身が「上演すると七日七晩かかるので火星の劇場向き」と断っている。警抜な『言葉』論は徹底してドイツ語にかかわっており、正確にいうと訳しようのないしろものだ。いち早くヒトラーの悪魔性を予告して、その最盛期にしるされたナチズム弾劾の書には、なんと手のこんだ戦術が使われていることだろう。

 世紀末から一九三〇年代に及ぶ文学活動は、およそ四期に分けられるだろう。

 一 個人誌『炬火』
ファッケル
創刊と時評家クラウス

 二 第一次世界大戦をめぐるクラウス

 三 一九二〇年代のクラウス

 四 ナチズムとクラウス

 『炬火』は一つのきわだった特徴をもっていた。日ごと活字として送られてくるジャーナリズム、とりわけ当時、誇らかに「無冠の帝王」などと称していた新聞というメディアを社会批判の手がかりにしたことである。ウィーンの現実の人物、事件、現象をとりあげても、対象はあくまで、それを伝える言葉であって、「事実」を報道するときの常套句、観念的な言いまわし、気どった粉飾、調子よい説教にひそませた下心。その種の表現を意地悪くひっぺ返して、隠された実態をあばいていく。美しい言葉づかいによってくらまされた社会的腐敗や堕落、権力欲や金銭欲を、いちいちこまかく自分の雑誌に収録した。ついてはクラウスのアフォリズムの一つにある。

  ペンの森を見通すために私の方法によれば一枝で足りる。

 一九一四年八月に世界大戦が勃発したとき、ジャーナリズムは熱狂してわれ先に愛国心を煽り立てた。いま始まったのは機械と物量による殺し合いであるにもかかわらず、騎士道時代の美辞麗句で飾り立て、戦争を美化し、無私と精神性を強調した。



torch.png
フランゼンの本の装丁はクラウスが発表していた雑誌『炬火』を踏まえての者なのですね。

 一九二〇年代のクラウスには具体的な「敵」がいた。戦中・戦後の混乱期に、他人の血で利益をかすめとり、他人の不幸を元手に資産家に成り上がった抜け目のない連中と、そのうしろ楯となった新興ジャーナリズムである。政界、財界をとわず新しい時代の新しい名士たちは、新興ジャーナリズムに群がった。自分たちに寄りそい、自分たちを栄光化してくれる。新興メディアはその代償に、多少ともうしろ暗い彼らの私生活をちらつかせながら取引をして、広告という形の資金援助をかちとっていく。

 『炬火』の予約購読者は同時に情報提供者でもあった。ひそかに情報が届けられ、書類が写されてくる。クラウスは相手の誹謗と攻撃を、いちいち『炬火』に収録し、彼らの手法と口実を記録した。そこにはつねに偽造と捏造
ねつぞう
がまじりこませてあって、当の相手の言い逃れがきかない証拠物件を提供するからだ。合法的悪党集団との戦いに一応のケリがついたとき、クラウスは述べている。本来、司法の任務であるべきものが、「一人の文筆家の努力を待たなくてはならなかった社会」とは何であるか。現実に対する言葉の戦術が無力になり、むしろ現実に追い抜かれていることを認めなくてはならない。しめくくりに置かれたシェイクスピアの引用がそれとなく、つづく三〇年代を予告していた。「すべてがゆがんでいる。この呪われた創造のなかで、あからさまな悪業以外、まっとうなものは何もない」。

 一九三三年、ドイツではヒトラーが政権をとり、ついで全権付与法が成立、ナチスの独裁が始まった。以後三年ちかく、クラウスはすべてをなげうってナチズム批判に没頭した。新しい権力者に迎合する知識人の言葉を集め、辛辣な注釈をほどこした。情報宣伝相ゲッベルスの主張をことこまかに分析して、そのとデマゴーグぶりを暴露した。事実を否認し、否認ができなくなると他に転嫁し、そののち居直って逆襲に出る、そんなナチズムの常套手段をあばいていった。『第三のワルプルギスの夜』には『リヤ王』からの引用がまじえてある。「神よ、事態がさらに悪化せぬと誰にいえましょう?/昔より今はもっと悪くなっています/そして、さらに悪化するかもしれません/これが最悪だと言える間は、それは最悪の事態ではないのです」。

 一九三六年六月、ユダヤ人カール・クラウス死去。この世の活動にてらしてか、ユダヤ人に定められていた「最悪の事態」だけは免れた。

リア王の「神よ、事態がさらに悪化せぬと誰にいえましょう?/昔より今はもっと悪くなっています/そして、さらに悪化するかもしれません/これが最悪だと言える間は、それは最悪の事態ではないのです」は以下の動画にありました。



EDGAR [aside]
O gods! Who is’t can say ‘I am at the worst’?
I am worse than e’er I was.
Old Man ‘Tis poor mad Tom.
EDGAR [aside]
And worse I may be yet. The worst is not 
So long as we can say ‘This is the worst.’


ウィトゲンシュタインのウィーン (平凡社ライブラリー)ウィトゲンシュタインのウィーン (平凡社ライブラリー)
(2001/03)
スティーヴン トゥールミン、アラン・S. ジャニク 他

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フランゼンの本をオススメできるかは現時点では分かりませんが、上記の本は当時の状況が分かる素晴らしい本だと思います。カールクラウスについても一章まるまる割いて説明しています。世紀末ウィーンの時代背景が分かりますし、語学学習者にとってヴィトゲンシュタインの問題意識についても学ぶことができます。英語のペーパーバックもあるようです。


Wittgenstein's ViennaWittgenstein's Vienna
(1996/10)
Allan Janik、Stephen Toulmin 他

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