fc2ブログ

Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

RSS     Archives
 

私はてっきり港にはいっているものだと思っていた

 
引用句辞典で見かけた以下の言葉が好きで、前のブログでも取り上げたことがあります。

They are ill discoverers that think there is no land, when they can see nothing but sea.
発見者になれない人は、見渡す限りの海を前にして陸地がないと思ってしまう。
フランシス・ベーコン


この言葉はThe Advancement of Learning (学問の進歩)という本に出てくるようです。学問研究での実体験を基に何かを回顧しているのでも思っていたのですが、グーテンベルグにあったので該当箇所を調べてみたのですが、イメージしていたのと違った文脈で使われていました。

The Advancement of Learning, by Francis Bacon

(5) For metaphysic, we have assigned unto it the inquiry of formal and final causes; which assignation, as to the former of them, may seem to be nugatory and void, because of the received and inveterate opinion, that the inquisition of man is not competent to find out essential forms or true differences; of which opinion we will take this hold, that the invention of forms is of all other parts of knowledge the worthiest to be sought, if it be possible to be found. As for the possibility, they are ill discoverers that think there is no land, when they can see nothing but sea. But it is manifest that Plato, in his opinion of ideas, as one that had a wit of elevation situate as upon a cliff, did descry that forms were the true object of knowledge; but lost the real fruit of his opinion, by considering of forms as absolutely abstracted from matter, and not confined and determined by matter; and so turning his opinion upon theology, wherewith all his natural philosophy is infected.

形而上学についていえば、われわれは、それに形相因と目的因との研究をふりあてたのであるが、そのようなふりあては、形相因に関するかぎり、つまらぬ空虚なものと思われるかもしれない。というのは、人間の行う研究は、本質的形相すなわち真の種差を見出すことができないという、一般に認められた根深い考えがあるからである。この考えから、われわれは、すべての知識の部門のうち、もしそれが見つけられることが可能であるなら、形相の発見は、探索するのにもっとも価値あるものであると推定してよいだろう。それの可能性についていえば、海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではないのである。ところが、プラトンは、かれのイデアの説においては、あたかも絶壁上の高みから見はるかすような知力をもっていた人のように、「形相こそ知識の真の対象である」ことを発見した[『国家論一〇の一』]が、しかし、形相を、質料からまったく分離したもの、質料によって限定も規定もされないものと考え、こうして神学的思弁に転じてその自然科学がすっかり神学に染まったために、かれの学説の実際の成果をとり逃したことはあきらかである。

日本語訳は以下の岩波文庫からの引用です。


学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)
(1974/01/16)
ベーコン

商品詳細を見る


一読してもよく分からないのですが、下記のような説明を読むとある程度ベーコンの意図したことが掴めるかもしれません。

では形相という言葉でベイコンは何を意味しているのか。彼はまずそれがプラトンのイデアのように質料から離れて存在するものではないとする。しかし質料と不可分であるからと言って、アリストテレス哲学の形相と同一視されるべきでもない。というのもスコラ哲学者のように形相を事物の本質としながら、それを人間に知ることのできないものとみなすのは学問の進歩を妨げる誤った見解だからである。これらの批判は、ベイコンが形相を質料と不可分で、かつ人間に認識可能なものと考えていたことを示している。

形相因や目的因のような哲学的な文脈ではなく、もう少し俗な文脈で理解しようとすれば、以下のような部分が参考になるでしょうか。同じ本の最初の部分でベーコンが語っているところです。

To conclude, therefore, let no man upon a weak conceit of sobriety or an ill-applied moderation think or maintain that a man can search too far, or be too well studied in the book of God’s word, or in the book of God’s works, divinity or philosophy; but rather let men endeavour an endless progress or proficience in both; only let men beware that they apply both to charity, and not to swelling; to use, and not to ostentation; and again, that they do not unwisely mingle or confound these learnings together.

それゆけ、結論としていえば、穏当というたわいない観念やはきちがえた節度からわり出して、人間は神のことばをしるした書物[聖書]、あるいは神のみわざをしるした書物[自然]の研究に、すなわち、神学あるいは哲学において、ふか入りしすぎたり、よく通じすぎたりすることがありうるなどと考えたり、主張したりしてはならない。それよりもむしろ、双方において無限の進歩と上達をとげるようにつとめるべきである。ただ、双方を愛のために用いて高慢のために用いないように、実用にあてて誇示にあてないように、なおまた、これらの学問を愚かにも混合したり、混同したりしないように気をつけなければならない。

「真理」は到達できないからと無責任な言動を無反省にするのではなく、少しでも真理に近づけるように努力を怠らないようにすべきだと自分では理解しました。この探求のadvancementは一直線ではないし、陸地に達成できる保障もあるわけではなさそうです。まあ、英語学習の航海においては、下記のライプニッツの言葉が自分にはしっくりきます。

I though I had reached the port; but … I seemed to be cast back again into the open sea.
私はてっきり港にはいっているものだと思っていたが、しかし……海の真ん中に押し戻されていた
ライプニッツ
スポンサーサイト



Comment


    
プロフィール

Yuta

Author:Yuta
FC2ブログへようこそ!




最新トラックバック



FC2カウンター

検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR