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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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東大入試と井戸端会議

 
先月ロボットが東大入試に挑戦するイベントがありメディアも取り上げていました。

人工知能が東大模試挑戦 「私大合格の水準」 
国立情報学研など
2013/11/23 20:06
 国立情報学研究所や富士通研究所の研究チームは23日、人工知能を載せたコンピューターで東京大学入試の模擬試験に挑んだと発表した。数式の計算や単語の解析にあたる専用プログラムを使い、実際に受験生が臨んだ大学入試センター試験と東大の2次試験の問題を解読した。大手予備校の代々木ゼミナールの判定では「東大の合格は難しいが、私立大学には合格できる水準」だった。

 チェスや将棋ソフトで力をつけた人工知能がまた進歩をみせた。

この研究所は井戸端会議にも挑戦しているようです。外国語学習者にとっては試験よりも、普通の人との何気ない日常会話こそが難しいというのは体験的に知っていることですね。

62号/No.62, Dec. 2013 ロボットは井戸端会議に入れるか

「井戸ロボ」を通じて、コミュニケーションの本質に迫りたい
ロボットは井戸端会議に入れるだろうか? それは、ロボットが東大に入ることと同じくらい、いや、それ以上に難しいだろう。そもそも人間がどうやって井戸端会議に加わり、自然な会話をしているのかということ自体、解き明かされていない。そうした人間のインタラクション理解を深めるべく、NII グランドチャレンジの1つとして、2012 年度から「ロボットは井戸端会議に入れるか」(通称:井戸ロボ)がスタートした。その概要と方向性について、代表研究者の坊農真弓助教に、会話情報学の提唱者であり、AI 研究者の西田豊明教授が話を聞いた。


以下の抜粋は何気ない会話も文脈次第で意味が変わることがわかります。

西坂 はい。「質問」といってもさまざまで「、~ か?」のように明確な終助詞が常に用いられるわけではありません。さらに、質問が誰に向けられたものか一義的には決まらない。「坊農さんのご出身は?」という問いかけは、坊
農さんがその場にいるときは坊農さんへの質問ですが、坊農さんがいない場面でも、坊農さんを知っている人に対して使うことができる。つまりそれは、文脈次第です。そういう

「発話のデザイン」の構造を定式化してロボットに会話させるのは、非常に困難なのです。 逆に言えばこれは、文脈に対する人間の適応性がいかに柔軟かということを示しています。

「井戸ロボ」を大変興味深いと思ったのは、人間のように会話するロボットを作るのではなく、人間みたいな格好の物体を人間のなかに置くことによって、会話する人間のほうを見 ようという、発想の転換が感じられるからで す。

東大入試や井戸端会議のプロジェクトの概要についてはリンク先の冊子を読んでいただきたいのですが、共感をもって読めたエッセイが以下のものです。外国語学習っていまだに、情報を得ればできるようになると素朴に思っている人が多いですよね。

60号/No.60, Jun. 2013 人工頭脳プロジェクト「ロボットは東大に入れるか。」

「わかる」という体験
影浦 峡 (東京大学大学院 教育学研究科 教授)

レストランや料理の紹介を読んで美味しそうと思うことと実 際に食べて美味しさを体験することとが質的に違うこと、そし て味が「わかる」ことが後者を指すことは、恐らく誰もが認め るところでしょう。料理ほど明確ではありませんが、映画評を 読んだだけでその映画がわかったとは言えないことにも、たぶん 多くの人が同意するのではないでしょうか。

ところが、いわゆる「知識」とそれを伝える本について、私 たちは、解説を読めば元の本が「わかる」と考える傾向がある ようです。もしかすると、料理を食べることと料理の解説を読 むことに相当する違いがあるにもかかわらず、「わかる」体験 をもたらす媒体が解説を伝える媒体と同じ「言葉」であるため、 両者が混同されているのかもしれません。

このように考えると、少しはっきりすることがあります。まず、 「わかる」瞬間、すなわち「腑に落ちる」ことはあくまで体験で あって、情報の受容や操作とは違うこと。また、人が何かを「わかる」ときには没頭するプロセスを経ることが多いこと――つ まり人はいわば「過学習」を通して普遍的知識を身につけるように見えることなどです。

そうだとすると、一般に過学習を避けて一般化をめざす機械 学習的な方法で知識を伝える言葉を扱うことにより、コンピュータが人間のように「わかる」状態を実現するのは難しそうです。 それでもなお、「腑に落ちる」ことは人間のみに許された特権 で、所詮コンピュータにはできないことだと開き直るのではな く、コンピュータが「わかる」ことを目指すのならば、「腑に落 ちる」ぎりぎりのところまで突き詰める。例えば読書に「没頭 する」プロセスをコンピュータでどう扱うかが ―― 手段とは別 に ―― 概念的にとても大切な課題になりそうです。


このような研究への知見が広まれば、フレーズを覚えればしゃべれるようになるとか、10年後には人工知能が人間の知性を凌駕するといった素朴な考えはなくなるんですけどねえ。
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