Posted at 2014.01.05 Category : 映画予告編
年末年始に『かぐや姫の物語』を見てきました。雑誌の美術手帖などが特集を組んでいたので興味が湧いたのがきっかけですが、ジブリ的な自然讃歌、生命讃歌の映画でした。
歌のあるバージョンはリンク先で。
まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 連れてこい
春 夏 秋 冬 連れてこい
まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる
前回この映画を取り上げたときは、ジャパンタイムズの映画レビューに対して、「もののあはれ」を安易に持ち出すことはどうなのかと生意気にも書かせてもらいました。
‘Kaguya-hime no Monogatari (The Tale of Princess Kaguya)’
Ghibli's Takahata returns triumphant after 14 years
BY MARK SCHILLING
His exploration, though, has little to do with plot, everything to do with his heroine’s emotional and spiritual journey — and the way it ends. Not to enter spoiler territory, but the climax is a haunting, wrenching evocation of mono no aware — or as it is literally translated, the pathos of things. The basis of Japanese aesthetics since time immemorial, mono no aware is hard to define, but “The Tale of Princess Kaguya” brilliantly illuminates it with images of life at its transient loveliest, of parting in its terrible finality.
自然や生命そのものを大切にしようとする気持ちが「もののあはれ」ならばこの映画はまさに「もののあはれ」を取り上げていました(汗)大井田晴彦先生も美術手帖に以下のように書いています。
『竹取物語』の主題を端的に示すキーワードは「あはれ」である。物語の初期において、かぐや姫には、美しいけれども、どこか冷たい、血の通っていない人物という印象があるが、次第に嫗などの人々の交流を通じて、人間的な感情を育んでいく。(中略)とくに昇天の際の「今はとて天の羽衣も着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける」の絶唱は重要である。まさに、かぐや姫の人間的な「あはれ」の感情が頂点に高まったものといえよう。
『竹取物語』なんて学校の授業で習ったかどうかもあやふやになっているので、恥ずかしながら「あはれ」の部分を確認してみました。絶版になっているのが残念ですが、川端康成が現代語訳、ドナルドキーンが英訳した豪華版の『竹取物語』が出版されていたのですね。最後の天の羽衣(The Celestial Robe of Feathers)の書き出し付近と、昇天の際の歌の英訳を確認します。
(國民文庫)
「かぐや姫例も月をあはれがり給ひけれども、この頃となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し歎くことあるべし。よく\/見奉らせ給へ。」といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を見給ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を見れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき。」といふ。
(川端康成)
そこで、それを見た家の人々は竹取の翁に向かって、
「かぐや姫が、常から月を見てよくしみじみとした気持ちになっていられるのは、何も今に始まったことではないが、それにしても、どうもこの頃の御様子は只事ではなさそうである。何かきっと、深く心に思いつめて、悲しむことがあるのでしょう。よくよく御注意なさるがいい。」
と言うので、翁は姫に、
「いったいどのような気がなさるので、そのように物を思いつめた様子で月をお眺めになるのですか。この何一つ不自由のない結構な御境涯にいて。」
と、そう訊ねると、姫はそれに答えて、
「いいえ、別段何も特別に物を考えて、嘆き悲しんでいるというわけのものではないのです。只月を見ておりますと、なんということもなく、この世の中が哀れで、心細く思われて参るのです。」
(ドナルドキーン)
Her maidservant informed the Bamboo Cutter: "Kaguya-hime has always looked with deep emotion at the moon, but she has seemed rather strange of late. She must be terribly upset over something. Please keep an eye on her."
The old man asked Kaguya-hime. "What makes you look so pensively at the moon?"
She answered. "When I look at the moon the world seems lonely and sad. What else would here be to worn me?"
*******
今はとて天の羽衣も着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける
(川端康成)
さあいよいよ最後の時が参りまして、今わたしは天の羽衣を身につけるのでございますが、その時になって、さすがに我が君の御事を思い参らせますると、なんとも言えず、お慕わしい気持ちに動かされ奉るのでございます。
(ドナルドキーン)
“Now that the moment has come to put on the robe of feathers, how longingly I recall my lord!”
「もののあはれ」に関しては昨年六本木のサントリー美術館で展覧会があったんですね。余裕でスルーでした(苦笑)
「もののあはれ」と日本の美
「花鳥風月」という言葉は、現代を生きる私たちにも雅な響きをもって耳に届きます。春の桜、季節の訪れを告げる鳥たち、秋の夜空に輝く月は、美しい日本の四季や自然を代表する風物として絵画や工芸の題材となりました。この展覧会は、古来、親しまれてきた「雪月花」や「花鳥風月」にあわせて「もののあはれ」という言葉をとくに採り上げ、その歴史を辿るとともに、誰もが心癒されるであろう抒情性あふれる日本美の世界へご案内します。
"Mono no Aware" and Japanese Beauty April 17th (Wed.) to June 16th (Sun.)
Mono no Aware signifies the deep, sensitive, exquisite feelings experienced in encountering the subtleties of human life or the changing seasons. The phrase, which has a long history in Japanese literary criticism, continues to have elegant resonances for us today. As the Heian-period Poems Ancient and Modern and The Tale of Genji tell us, the Japanese have long spun the beauties of nature and the joys and sorrows of human life into poems and tales. The diaries, poems, and narrative works created by aristocrats at the Heian imperial court reveal their love of the cherry blossoms of spring, the foliage and grasses of autumn, the calls of the uguisu and hototogisu, birds that herald the arrival of spring and summer, the moon gleaming in the night sky: archetypical natural phenomena invoking the beauties of nature in Japan and its seasonal transitions.
『対訳 竹取物語』はアマゾンの古書だと1万円以上もするので、近隣のブックオフにないか捜索に出てみようと思います。
歌のあるバージョンはリンク先で。
まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 連れてこい
春 夏 秋 冬 連れてこい
まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる
前回この映画を取り上げたときは、ジャパンタイムズの映画レビューに対して、「もののあはれ」を安易に持ち出すことはどうなのかと生意気にも書かせてもらいました。
‘Kaguya-hime no Monogatari (The Tale of Princess Kaguya)’
Ghibli's Takahata returns triumphant after 14 years
BY MARK SCHILLING
His exploration, though, has little to do with plot, everything to do with his heroine’s emotional and spiritual journey — and the way it ends. Not to enter spoiler territory, but the climax is a haunting, wrenching evocation of mono no aware — or as it is literally translated, the pathos of things. The basis of Japanese aesthetics since time immemorial, mono no aware is hard to define, but “The Tale of Princess Kaguya” brilliantly illuminates it with images of life at its transient loveliest, of parting in its terrible finality.
自然や生命そのものを大切にしようとする気持ちが「もののあはれ」ならばこの映画はまさに「もののあはれ」を取り上げていました(汗)大井田晴彦先生も美術手帖に以下のように書いています。
![]() | 美術手帖 2014年 01月号 [雑誌] (2013/12/17) 美術手帖編集部 商品詳細を見る |
『竹取物語』の主題を端的に示すキーワードは「あはれ」である。物語の初期において、かぐや姫には、美しいけれども、どこか冷たい、血の通っていない人物という印象があるが、次第に嫗などの人々の交流を通じて、人間的な感情を育んでいく。(中略)とくに昇天の際の「今はとて天の羽衣も着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける」の絶唱は重要である。まさに、かぐや姫の人間的な「あはれ」の感情が頂点に高まったものといえよう。
『竹取物語』なんて学校の授業で習ったかどうかもあやふやになっているので、恥ずかしながら「あはれ」の部分を確認してみました。絶版になっているのが残念ですが、川端康成が現代語訳、ドナルドキーンが英訳した豪華版の『竹取物語』が出版されていたのですね。最後の天の羽衣(The Celestial Robe of Feathers)の書き出し付近と、昇天の際の歌の英訳を確認します。
![]() | 対訳 竹取物語 - The Tale of the Bamboo Cutter (1998/03/20) 川端 康成、ドナルド キーン 他 商品詳細を見る |
(國民文庫)
「かぐや姫例も月をあはれがり給ひけれども、この頃となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し歎くことあるべし。よく\/見奉らせ給へ。」といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を見給ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を見れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき。」といふ。
(川端康成)
そこで、それを見た家の人々は竹取の翁に向かって、
「かぐや姫が、常から月を見てよくしみじみとした気持ちになっていられるのは、何も今に始まったことではないが、それにしても、どうもこの頃の御様子は只事ではなさそうである。何かきっと、深く心に思いつめて、悲しむことがあるのでしょう。よくよく御注意なさるがいい。」
と言うので、翁は姫に、
「いったいどのような気がなさるので、そのように物を思いつめた様子で月をお眺めになるのですか。この何一つ不自由のない結構な御境涯にいて。」
と、そう訊ねると、姫はそれに答えて、
「いいえ、別段何も特別に物を考えて、嘆き悲しんでいるというわけのものではないのです。只月を見ておりますと、なんということもなく、この世の中が哀れで、心細く思われて参るのです。」
(ドナルドキーン)
Her maidservant informed the Bamboo Cutter: "Kaguya-hime has always looked with deep emotion at the moon, but she has seemed rather strange of late. She must be terribly upset over something. Please keep an eye on her."
The old man asked Kaguya-hime. "What makes you look so pensively at the moon?"
She answered. "When I look at the moon the world seems lonely and sad. What else would here be to worn me?"
*******
今はとて天の羽衣も着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける
(川端康成)
さあいよいよ最後の時が参りまして、今わたしは天の羽衣を身につけるのでございますが、その時になって、さすがに我が君の御事を思い参らせますると、なんとも言えず、お慕わしい気持ちに動かされ奉るのでございます。
(ドナルドキーン)
“Now that the moment has come to put on the robe of feathers, how longingly I recall my lord!”
「もののあはれ」に関しては昨年六本木のサントリー美術館で展覧会があったんですね。余裕でスルーでした(苦笑)
「もののあはれ」と日本の美
「花鳥風月」という言葉は、現代を生きる私たちにも雅な響きをもって耳に届きます。春の桜、季節の訪れを告げる鳥たち、秋の夜空に輝く月は、美しい日本の四季や自然を代表する風物として絵画や工芸の題材となりました。この展覧会は、古来、親しまれてきた「雪月花」や「花鳥風月」にあわせて「もののあはれ」という言葉をとくに採り上げ、その歴史を辿るとともに、誰もが心癒されるであろう抒情性あふれる日本美の世界へご案内します。
"Mono no Aware" and Japanese Beauty April 17th (Wed.) to June 16th (Sun.)
Mono no Aware signifies the deep, sensitive, exquisite feelings experienced in encountering the subtleties of human life or the changing seasons. The phrase, which has a long history in Japanese literary criticism, continues to have elegant resonances for us today. As the Heian-period Poems Ancient and Modern and The Tale of Genji tell us, the Japanese have long spun the beauties of nature and the joys and sorrows of human life into poems and tales. The diaries, poems, and narrative works created by aristocrats at the Heian imperial court reveal their love of the cherry blossoms of spring, the foliage and grasses of autumn, the calls of the uguisu and hototogisu, birds that herald the arrival of spring and summer, the moon gleaming in the night sky: archetypical natural phenomena invoking the beauties of nature in Japan and its seasonal transitions.
『対訳 竹取物語』はアマゾンの古書だと1万円以上もするので、近隣のブックオフにないか捜索に出てみようと思います。
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