安部公房全集 22に収録されている1968年5月1日のエッセイ「落第のすすめ」があります。1968年の都立高校入試の国語の問題の一節である北杜夫の「へそのない本」を取り上げて、安部公房は作家の視点から批判をしていきます。
(前略)…くり返しくり返し、少年は昆虫図鑑を見た。どのページも、ほとんどそらで覚えてしまうほどながめたのである。少年はチョウよりもガのほうが好きになっていた。病気が、その心をしめやかにかげらしていたからである。ガのほうが、よりしめっぽく、より深く、より底が知れなかった。あやしく、無気味であり、不可思議であった。
この引用部分に対する問題は以下のようで、(ア)から(オ)までの五択でした。
病気が、その心をしめやかにかげらしていたからである。の、「その心をしめやかにかげらしていた」の意味に最も近いのは、次のうちどれか。
この問題に対して、作家が考え抜いた表現なんだから、「ほかの表現で簡単に置き換えられたりできるはずがない」と反論し、取り上げるべき問題はそんな表現の問題ではなく以下のような部分ではないかと言います。
原作の文章の最大のねらいは、あらためて説明するまでもなく、主人公の少年が、常識に反してチョウよりもガが好きになったという点にあるのだ。(中略)したがって問題は、少年をそのような「無気味」な世界へと誘い込んだ、動機の分析になるわけだが。。。
次の部分が僕の心にささるんですよね。
いや、もうけっこう。学校における国語教育が、このようなものだとしたら―通念の向こうにある世界の追及を目的にする文学を、通念のがわに引き戻すことだとしたら―国語教育など、むしろ廃止してしまった方が、よほどましだと言うしかない。(中略)文学的感受性が低ければ、低いほど、より正しい解答ができるような問題に、正解を出せるということ自体、異常なことであり、恥ずべきことではあるまいか。
すくなくも、この問題に関するかぎり、むしろ落第生のほうに、いささかの自惚れが許されていいはずである。
「通念の向こうにある世界の追及を目的にする文学を、通念のがわに引き戻す」とか、「文学的感受性が低ければ、低いほど、より正しい解答ができるような問題」とか、資格試験、いや、試験一般に当てはまってしまう問題ではないか。試験の結果を出して終わりではなく、その向こう「「通念の向こうにある世界の追及」こそが求められているのではないか。少なくとも英語で生計を立てている自分としてはこの部分を大切にしたいのです。
試験は有用だと思っています。今の実力で見直せば見直すほど、試験はよく設計されて作られていていると感じています。でも、そこから足を踏み出すことこそが大事であるとも思うのです。しっかりと下準備をして、しっかりと理解したうえで、自分のものにしていく努力、そんあ努力をい大切にしていきたいと思うのです。
作家つながりで、フランスの作家ミシェル・トゥルニエの言葉をご紹介します。「自分の言葉で伝える」とはどういうことか端的に説明している部分ではないかと思いますし、リサーチをおろそかにしない部分とかも大変参考になる姿勢です。
トゥルニエは『フライデーあるいは太平洋の冥界』とか『魔王』とかが有名な作家です。
ご紹介する部分は、以下の白水社のビデオシリーズから抜粋させていただたものです。言葉は発音を真似るとか、作文するとかではなく、相手の考えをしっかりと理解するという部分も大切なんだと思うんですが、NHKの語学講座も安っぽいアウトプット中心になってしまって残念な部分もあります。
作家は語る 全5巻セット―20世紀フランス文学5つの証言
ミシェル・トゥルニエ(1924~)白黒57分
ジャック・プレヴェール(1900~1977)白黒51分
ジャン・ジュネ(1910~1986)白黒52分
シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~1986)白黒58分
フィリップ・スーポー(1897~1990)白黒52分
◇斬新かつ多彩な映像感覚で編集されたユニークなインタビュー・ビデオシリーズ。フランス語完全スクリプト付き。(日本語字幕はありません)
◇作家の肉声を通して現代フランス文学生成の場に立ち会うことができるきわめて貴重な資料。
Enfant: Vous basez-vous sur des fais plus ou moins reels pour, euh, quand vous ecrivez vos livres?
M.T.: Ah! Ca c’est la question de la verite, de ce qu’il y a de vrai dans un roman. Alors je vais vous dire une chose, moi je cherche beaucoup de documentation. Par example si je dois avoir un tireur a l’arc dans un de mes romans, ben, je cherche comment sont fabriques les arcs et comment on tire a l’arc.
Mais il faut surtout eviter ensuite quand on ecrit que ca fasse une espece de paquet comme dans un dictionnaire, n’est-ce pas? Autrement dit, tout ce qu’on prend au reel, il faut l’avaler, le digerer, et que ca soit bien ensuite assimile dans le roman et que ca ne sente pas le catalogue, le dictionnaire, etc… C’est un probleme d’assimilation, c’est tres difficile; c’est le gros probleme du roman, c’est d’arriver a tout assimiler.
(Yutaのざっくり訳)
子ども ある程度本当の事実を基にして、本を書かれているのですか。
M.T. 真実についての質問ですね。小説に真実はあるのかということでしょう。一つお伝えしたいことは、私はたくさんの文件を調べるということです。例えば、弓を射る人を私の小説で登場させなければいけない場合には、弓はどのようにして作られるのか、弓をどのように射るのかを調べます。
しかし、その次に執筆するときに何よりも避けなければいけないのは、辞書にあるような説明の類にしてしまうことです。つまり、真実味を帯びるようにしないといけないのです。それを取り入れて、消化し、小説の中でしっかりと同化させるようにして、カタログとか辞書のような感じをさせないようにしないといけないのです。これは同化させるという問題で、とても難しいものです。小説において大きな課題なのです。すべてを同化させるというのは。
まあ、ミシェル・トゥルニエじゃなくても、役者さんでも似たようなことを語っている方も多いですよね。徹底的に準備をして、実際に演じる時にはそれをすっかり忘れて演じるようにするといったことを語る俳優の方が名前は忘れましたがいらっしゃったと思います。
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