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Uncharted Territory

自分が読んで興味深く感じた英文記事を中心に取り上げる予定です

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同情は真実を拒むことを露骨にみせないための演技なのだ

 




東京都写真美術館の「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」を観てきました。この写真家の存在をしらず、自分にとってはビアフラ戦争を撮った日本人写真家がいたのかという興味でふらっと行ってきたのです。ビアフラ戦争は作家アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』を以前紹介しましたが、国境なき医師団(MSF)が創設されるきっかけとなった紛争としても知られています。

写真展を見て、こんな人がいたのか。こんな真摯に何かを伝えようと取り組んだ人がいたのかと感銘を受けました。なにか特別に心に残る写真があったというよりも、本人が「シャッター以前」と呼んでいるその姿勢をすごいと思いました。普通の人なら、ここまで手間をかけようとしないでしょう。

冷静に考えると、Yutaが共感を覚えるのは、英語学習でのYutaの立場が文化背景など、あらゆるものを踏まえて理解すべきというものだからでしょう。岡村さんの写真技術はそれほど高くなかったそうなので(Yutaは判断できる知識はありません)、英語学習で発音、語彙、文法など技術的アプローチをとる人は理想論を押し付けるだけの暑苦しいおじさんくらいにしか思わないかもしれません。

岡村昭彦の写真展 キャパを継いで戦場記した男
2014.8.22 12:30

【アートクルーズ】
 「キャパを継ぐウォーフォトグラファー」
 写真グラフ誌の「LIFE」からこう称された報道写真家・岡村昭彦の写真展「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」が東京都写真美術館(東京都目黒区三田)で開催されている。岡村が残した約5万点の写真の中から、報道写真家としての振り出しとなったベトナム戦争取材をはじめ、北アイルランド紛争、ビアフラ独立戦争など岡村が生きた足跡をたどるオリジナルプリント182点を展示。他に未公開写真100点も資料とともに展示。これほど体系的に岡村の写真を展開した写真展は初めてではないだろうか。
 岡村の代表的な仕事のひとつに1971年の南ベトナム政府軍によるラオス侵攻作戦の従軍ルポがある。徹底的な報道管制が敷かれる中で取材され、国際的なスクープとなった作品だ。

******

 「シャッター以前」。岡村がよく口にした言葉だ。フォトジャーナリストは何を記録するかという問題意識や世界観がバックグラウンドにあって現場に立たなければならないということだろう。岡村はそうした生き方を実践し、多くの共感を呼んだ。そして「前線に行き、カメラ1台持って“殺し屋の上前”をはねてこようという人たち」がたくさん生まれていると嘆いた。

1971年のラゴス侵攻の写真は以下で当時の雑誌Lifeで読むことが出来ます。本当にGoogleはすごいです。

Life March 12, 1971

以下は、In the Steps of Robert Capaと編集後記に書かれた、1964年Lifeの岡村さんデビュー作です。

Life June 12, 1964

世界を股にかけた報道写真家・岡村昭彦
前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授)
「南ベトナム政府軍兵士が農民に水責めの拷問を加えるシーン」など―ベトナム戦争の実 態を告発する9頁のスクープ写真が米写真週刊誌「LIFE」(1964年6月12日号)に掲載 され、『第2のロバート・キャパが生まれた』と編集後記で絶賛された。
報道写真家・岡村昭彦のデビュー作であり、一躍、その名は世界にとどろいた。
この写真の事前情報をつかんだラスク米国務長官は「ライフ」に載 せないように圧力をかけた。
ライフ側は岡村のネガを全部回収して、「やらせ」がないかどうか1枚1枚をすべてチェックし、ないことを確認して、一挙に掲載した。この 「ライフ」をみたニクソン副大統領は床にたたきつけて、怒り狂ったといわれる。

東京都写真美術館は図書館も併設してあり、彼の著作を読むことが出来ました。以下のエッセイを抜粋するだけでも彼の真摯な態度を読み取れると思います


岡村昭彦集 1  南ヴェトナム戦争従軍記岡村昭彦集 1 南ヴェトナム戦争従軍記
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私の戦争報道

だれでも、一つの事件を第三者に公平に伝えようとすれば、まず双方の当事者の主張を聞き、それが真実がどうかを、なんらかの方法で確認したうえでなければ、公正を欠く恐れがあることを知っている。これがジャーナリズムの不動の憲法である。読者の側でも、この原則が守られていることを前提として、毎日のおびただしいニュースを受け取っているのだ。

岡村さんは真実の力が世の中をより良いものとしていくという信念があったようで、知識はパブリックなものでなくてはならないと考えていたようです。特に手厳しいのはセンチメンタルに流れる安易な態度です。

とくに日本の報道写真のうちでもっとも数が多く、もっとも質の低い写真は、民衆の泣いている場面をとった写真であろう。それは、事件の原因を追求してゆく力のとぼしいフォトグラファーのごまかしの手段として使われているからだ。

(中略)

それは読者の方々も、不幸の知らせを耳にしたときから、ハンカチを用意し、泣ける写真を待っているからである。フォトグラファーもそれが受けるというので、それをとる。なんのことはない。そこには事件の原因の追求とは別個に、読者とフォトグラファーによる別の次元の共犯が、初めから成立しているのだ。それはフィクションの世界の仕事であり、報道写真という記録がやるべきことではない。私たちが生命を賭けて写真をとるのは、その事件に対して、歴史の証言を提出せんがためである。

(中略)

人間が“可哀そう”という同情の立場をとるときは、すでにその相手に対して、連帯を拒否したときなのだ。つまり相手の立場に立って考えられないということは、他人の苦しみは三年でもがまんするということなのだ。どんなことでも、自分の問題として考えられなければ、真実は永遠にその人のもとから立ち去るのだ。人間は真実の上にのみ生きる価値を見出せるし、同情は真実を拒むことを露骨にみせないための演技なのだ。この知らぬうちに日本中にひろがってしまった、ヴェトナム戦争に同情を求めるハンカチに、こびを売って安物の花束を投げ込む仕事は、フォトグラファーの仕事ではない。

ふつうのサラリーマンの英語学習に、歴史や文化を踏まえて勉強するべきだなんて理想論を押し付けるまねは毛頭するつもりはありません。ただ、自分は英語で生活しているものです。岡村さんのような方に恥じない方法を追求していきたいと思いを新たにしました。
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