Posted at 2014.09.20 Category : 未分類
1894年、明治27年に琵琶湖疎水を指揮した田辺朔郎に英国土木学会よりテルフォードメダルが贈呈されることを通知する手紙が琵琶湖疎水記念館に展示されていました。1894年1月に発表した“The Lake Biwa-Kioto Canal”が評価されたようです。
以下がその本文です。手紙の結びなどに時代を感じますが、TOEICパート7に出てもおかしくない表現ですね。本文が短すぎるので最初の方で設問は2問くらいが限度でしょうが(笑)
Sir,
1st June, 1894
I am instructed to inform you that the council of the Institution of Civil Engineering has awarded to you a Telford Medal and a Telford Premium for your Paper entitled:-
“The Lake Biwa-Kioto Canal”.
The formal presentation will take place at the first Ordinary Meeting of next Session in the Second Tuesday in November.
I am,
Sir,
Your obedient servant,
James Forrest
Secretary
To
Sakuro Tanabe Esq. M.E.
Engineering College
Tokio,
Japan
your obedient servant というのは手紙の結びに使われていた古い表現のようです。TOEICではSincerelyやBest Regardsがメインですね。
(オックスフォード)
your obedient servant (old use)
used to end a formal letter
TOEICには相変わらず批判が絶えませんが、100年くらいの時代の変遷にはびくともしない基本的な表現を学ぶことができる点は忘れないようにしたいです。
もちろんその一方で限界をわきまえる必要があるでしょう。TOEICの語彙や表現だけでは、受賞した論文“The Lake Biwa-Kioto Canal”を読めないということです。TOEICというのは通知や紹介などメインに入る前の段階の英語を主に扱っているんですよね。
こんなことを記事にしたくなったのは、1894年の田辺朔郎が発表した全7ページの論文が今でも簡単に手に入ることを知ったからです。20ポンドと値が張りますが購入することができます。120年前の論文がこんなに簡単に手に入るように整備するイギリスのすごさを感じます。以下のリンクでは最初の2ページを読むことができます。
THE LAKE BIWA-KIOTO CANAL. (INCLUDING APPENDIX).
GBP20.00
Author: S TANABE
Source: Minutes of the Proceedings, Volume 117, Issue 1894, 01 January 1894
INTRODUCTIOS.
LAKE BIWA, largest lake in Japan, covers 500 square miles, the is 280 feet above sea-level and 36 miles from the Bay of Osaka. The lake has an outlet called Yodo River, which starts from the lake with a gentle slope for a mile, but thence, for over 12 miles, its course is impeded by rapids and cliffs, till it reaches the town of Fushimi, which is 23 miles from the city of Osaka...
アーカイブにおいてはアメリカも負けてはいません。1896年のScientific Americanをわずか8ドルほどで購入する事ができました。こちらも田辺朔郎による琵琶湖疎水の紹介がカバーストーリーとして3ページに渡って掲載されているのです。内容的には数年前に発表されたイギリスでの論文をまとめたもののようです。こちらも100年以上前の雑誌を購入できるようなかたちを整えていることがすごいと思うのです。日本の出版社でここまでやっているところがあるのでしょうか。
The Lake Biwa-Kioto Canal, Japan
Nov 7, 1896 |By Sakuro Tanabe
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ちょっと本文をご紹介します。琵琶湖疎水の目的について触れているところです。内容的には疎水の工事と同じくらい水力発電のところを多く紹介しています。当時電気というのは珍しかったんでしょう。
The objects of the construction of the canal between the lake and the city were:
1. To open a line of boat navigation between the Lake and Yodo River through Kioto.
2. The production of water power and the distribution of power and the light in the city by electricity.
3. The irrigation of rice fields in the vicinity.
The work was commenced in 1885 and completed in 1891, under the direction of Sakuro Tanabe, Assoc. M. Inst. C.E., who was the engineer-in-chief.
30代で英語の論文を発表し賞を受賞する。Scientific Americanのカバーストーリーに選ばれる。こんなすごいことをサラッと成し遂げているのは、当時の東大工学部では英語で授業が行われ、卒論も英語で書かれていたことも要因としてありそうです。田辺朔郎の家柄がすごいということもあったのですが、英語で教育を進めることは利点もあるような気もします。
琵琶湖疎水や田辺朔郎については、以下のものが全体像を把握しやすかったです。卒業したての若者がまかされたのは、有力者の推薦があったからといえそうです。
琵琶湖疏水と田辺朔郎
京都域粋第16号 琵琶湖疏水
親族の方による田辺朔郎さんの話も興味深かったです。
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